ベタベタに甘やかされるから何事かと思ったら、罠でした。
「……新田さん、知ってますよね。父が勝手に私の婚約者を決めてたこと」

「あぁ」

「連れ去ろうってくらいの気概は無いんですか?」

「また、そんな煽るようなこと言って。連れ去ってとも言わないくせに」

「……」

「では日奈子さん。私はたしかに伝えましたので」



そう言って新田さんは先に資料室を出ていった。



「……」



一人残された私は、さっき彼に触れられた顎に指先で触れる。こんな形でさえ、触れられるのがいつぶりなのかもう思い出せないのだ。

歳も離れている彼を“彼氏”だと言い張っているのはたぶん、私だけなんだろう。

新田英治は父の秘書だ。十年近く前から秘書をしていた彼と、私は高校生の頃から何度となく顔を合わせてきた。社長でありながら普通のマンションに暮らしていた父のもとに、彼はスケジュール管理や決済の確認などをするために足繁く通っていたから。最初出会った頃、二十代半ばだった新田さんはマンションの前に高級車をまわしては、母に「目立つからやめてください!」と怒られていた。
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