天に見えるは、月
*
ゴトゴトン、と静かなスペースに音が響き渡る。
「うっ……」
いつもは気にならないこの音が、今日は頭の芯にまで響いた。
香凛はいつもよりも早く出社して、真っ先に一課の休憩スペースに来ていた。
やはりゆうべはお酒を飲み過ぎていたらしく、朝から頭痛と若干の吐き気に見舞われている。いくらお酒に強いと言っても、ノーダメージとまではいかなかったようだ。
もう、屈むだけでもつらい。とはいえ自販機から水を取り出さなければ飲めないのだから、そんなことは言っていられない。
香凛は「うー」と呻くような声を出しながら、なるべく頭を下に向けないようにしてペットボトルの水を自販機から取り出した。
「あ……」
青いキャップを見た瞬間、胸の奥のなにかが微かに揺れた。
単に“Water”という文字だけを見てボタンを押したから、こうして手に取るまで気がつかなかった。
これは、ゆうべモンドが買ってくれたものと同じ、水――。
結局あの後、香凛はモンドに強引にタクシーに押し込まれ、家の近くまで送られた。
なんならタクシーに押しこめてくれただけでよかったのに、モンドは香凛が逃げないようにか、後から乗り込んで香凛の退路を断った。
タクシーの中では行き先の話以外は、お互いなにも話さなかった。
というより、香凛は話せなかった。あのモンドらしからぬ冗談が、香凛の脳裏にぐるぐると渦を巻いていたせいだ。
家についてからも寝るまでの間ずっと、そのことが頭から離れずどうしようもなかった。モンドの『口移ししてやろうか』という低音のいい声と妖艶な微笑みが、頭の中で何度も繰り返し再生された。そしてそれが繰り返し再生されるたびに、どうしてか胸が苦しくなってくる。
勇作と実夏のことがショックだったはずなのに。
どうしてモンドの冗談ばかりが、頭に浮かんでしまっていたのか――。