巫部凛のパラドックス(旧作)
 しばらく俺の顔を観察していた巫部だったが、
「ごめんね。やっぱり気のせいだったみたい」
 そう言い残し踵を返した。ぼんやりとその姿を追う俺はさきほどの言葉を反芻していた。俺の事を知っているかもしれないって、もしかすると、この世界と元の世界は繋がりがあるのかもしれない。なんとなくだが、あの世界へ帰れるって希望がわいてきたのかもしれないな。
 一通り授業が終了し、さて、放課後。どやらこの世界で俺は生徒会とは何の関係もない一般生徒らしいので、帰宅部の活動を開始するかねえ。と、鞄を手に立ち上がると、
「ちょっと、いい」
 背後から女子の澄んだ声がかけられ、振り向くと制服姿のゆきねがそこに立っていた。もはやなんで制服を着てるんだって言うツッコミは野暮ってもんだな。
「一体どうしたんだ」
「この世界からの脱出について私なりに考えたの」
 いつになく真剣な表情のゆきねに、俺もつられて真剣に耳を傾ける。
「この世界は前と同じよ。元いた世界と平行に並ぶ時間軸の上にあるの。どこかで分岐した本来訪れるはずであったもう一つの可能性。過去のある時点で巫部凜がある選択をしていると、この世界が正の世界になったはずよ」
「ちょっと待て、じゃあ、この世界はまったくの嘘の世界って訳じゃないってことなのか?」
「そうよ。この世界は過去のある時点で元いた世界と繋がってる。過去のある時に分岐した世界に間違いないの」
「そりゃ一体どこで」
「そこまではわからないわ。ただ一つ言えることは、その分岐の中心に巫部凜がいたってこと」
「巫部がか? ってことは、あいつのせいでこんな世界が出来上がっちまったってことか」
「まあ、そうなるわね。で、ここからが本題よ。この世界からの脱出なんだけど、どうやらあんたに掛かっているみたい」
「俺に?」
「そう、あんたに。単刀直入に言うわ。巫部凜に告白しなさい」
「……はい?」
 ゆきねの言葉をすぐには理解できなかった。それぐらい衝撃的な発言をしたと思う。人間の脳ってやつは、あまりにも衝撃的な発言の際には脳の方でその記憶を消そうとする……らしい。
「ちゃんと聞いてたの?」
 ゆきねは俺に詰め寄ってくるが、こいつは何を言っているのだろうか、少し前の記憶を呼び起こしてみる。たしかこいつは、巫部に告白しろって言っていたような気がする。
「おいおいおい、何で俺が巫部に告らないといけないんだ」
「あんた何にもわかってないわね。こういう現象を起こしてしまう要因は、得てして恋愛沙汰が多いのよ」
 さっぱり理由がわからん。
「いい、これは私の推測なんだけど……その昔、彼女は恋をした。だけどその思いを彼に告げることでフラれたらどうしよう、今までの関係が崩れてしまうんじゃないかと葛藤した。悩んで悩んで悩みぬいた。で、結果として彼女はそのままの関係性を選んだのよ。その後は想像通り、彼との距離は平行のまま、今に至るってわけ」
「なんつー二流恋愛小説なんだよ。そもそもそんなちっぽけな理由で世界が分かれてしまうなんて、ありえんだろ」
「この話には、続きがあるのよ。最後までちゃんと聞きなさい、まったく。コホン」
 一つ咳払いをし、姿勢を正すゆきね。
「彼女は願った。彼と付き合っている世界を。間違った選択をしてしまったこの世界ではなく、幸せに満ち満ちている世界を、ね」
「じゃあ、巫部がそんな世界を望んだから、いくつもの世界ができてしまったって言うのか?」
「もともとニームの素質はあったのよ、それでその事がきっかけで次々と世界を構築してしまっているわけ。それこそ、無限にね」
 なんとも嘘くさいはなしだが、ゆきねが言うということは本当のことなんだろうか。
「それって、本当のことなのか? 巫部にそんな過去があったなんて」
「いや、私の推測よ。最初に言ったじゃない」
 あっけらかんと言い切るゆきねだが、妄想も大概にしておけ。
「と、言うわけで、巫部凜にちゃんと告白すること! それでこの世界は収束し、元の世界に戻ることができるかもしれないんだから」
そう言ってってゆきねは右手をビシッとおれに突きつけるが、理不尽さマックスだ。
「一応聞いていいか、俺に拒否権は……」
「ない!」
 質問を言い終わる前に回答を聞いちまった。しかし、これってマジなことなのか? 巫部に告ることで戻れるなんて、俺にはとても正解だとは思えないのだが。
 そして、ミッションスタートになるわけなのだが、どうも今回はやる気がでない。人生初となる告白を、元の世界ではなく、こんな異世界と言ってもいい場所でしなくてはならないのだからな。だが、ここで、引き返すことはできないらしい。俺の首尾を見届けるといって、柱の陰からゆきねがにらんでいるしな。ここはもう、腹をくくるしかないのか?
 とりあえず、こうして教室にいてもどやされそうなので、生徒会室に向かう。足が鉛のように重くなっているのは、重力が増してしまったわけではあるまい。
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