スノー アンド アプリコット

あたしはテレビを見ないからよく知らない。
そんな男が、こんなかろうじて都内の、下町臭漂う町の区役所なんかに初めて現れた時、職員ばかりか訪れていた人たちまでもが騒然とした。

聞かれるまま愛想よくペラペラ喋り出したところによると、成功したレストランの、もっとカジュアルなランクに落としたビストロを姉妹店としてこの町で新しくオープンするらしい。
その準備のためと、オープンしてからも軌道に乗せるまではしばらくこの町に住むつもりで、引っ越してきたというわけだ。

そんな話をしていた時に、たまたま窓口に出ていたあたしを見つけて、

「やあ、こんな所で君みたいな女の子に出会えるなんて感動だな。」

なんて歯の浮くようなセリフをさらりと吐いて
(しかもさり気なく人の職場をこんな所とか言って)、

「よかったらご飯でもいかない? 僕シェフだから、おいしいお店たくさん知ってるよ。」

堂々とナンパしてきた。
…ま、あたしだって婚約者がいなきゃ、こうして言い寄られてれば遊んだだろう。
何も知らなくても、ご飯くらい行ったし、流れが良ければ一回くらい寝たかもしれない。

結婚相手としてはハナから選択肢にはないけど。料理人なんて不安定な仕事、絶対に嫌。

あたしはもう手堅い婚約者を見繕ったのだ。いくら顔が良くて、いくら女慣れしていても、こんな男を相手にする理由はない。

というわけで、ここに通うために不必要な手続きまでもやり尽くし、口実がなくなってもまだなお性懲りもなくこうして通ってくるこの男に、あたしは微妙に手を焼いている。

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