スノー アンド アプリコット

何を言ってんのかしら。使えると思ったのに。

「彼、普通じゃないよ。あの目はヤバい。ちょっとイカレてるな。」
「どういう…」
「ずっと一緒にいたんでしょ? 気づかない?」

優しく顔を覗き込まれて、今度はあたしが生徒にされたみたいだった。不本意だ。
...気づかない?
何に?

一井は背もたれに体重を預けて、眉をひそめた私をしげしげと眺め、一人で何度かゆっくり頷いた。

「気づかれない、ようにしてたのかもね。彼は君を手に入れるためなら何でもするよ。君は逃げられない。」

そんな断言、されても。逃げられないって。あたしは…

「とにかく、僕は手を引く。ああいう奴を敵に回すとまずい。」
「ちょっと…」
「杏奈ちゃん。」

抗議しようとするあたしに、一井は突然尋ねた。

「学も金もない僕がどうしてここまで来れたか、わかる?」

…は?

「………顔?」

一井は吹き出して、まあそれもあるけど、と言った。

「大事なのはね。人を見る目と、引き際を見極める速さだ。」

言いながら人差し指と中指で、自分の両眼を指し示した。

「僕は今失脚するわけにはいかない。幸い、君にハマりきる前だ。寝てもいない。」
「………」
「君もわかってるんじゃないの? 結婚とか言ってないで、おとなしく彼に捕まったら? きっと幸せになれるよ。」

幸せって。
何も知らないくせに。

「偉っそうに。」

あたしが吐き捨てると、一井はまた楽しそうに笑った。

「そういうところも、たまらないんだけどね。残念だよ。」

立ち上がって伝票を掴む。

「まあ、おいしいものならいつでも食べさせてあげるし、話なら聞くしさ。杏奈ちゃん、どうせ友達いないだろ?」
「余計なお世話よ。」
「じゃあ、またね。恐ろしいお坊ちゃまくんによろしく。」

身を翻すと、一井はあっという間に会計を済ませて、本当に出ていってしまった。

ちょっと、嘘でしょ。
あたしは唖然としてそれを見送った。

「………しかたない…」

こうなったら、もう。

思わず呟いてスマホを掴んだ途端、それが震えた。
なんてタイムリー。まだツキは残っていた。

"大倉健志"

うん、いつ見てもいい名前。
会ったこともない、平凡で健全な両親が目に浮かぶ。

「もしもしー?」

あたしは意気揚々と、可愛らしい声音を作って、婚約者からの電話に出た。






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