スノー アンド アプリコット

「はい、これで全部?」

一抱えの漫画本を俺に差し出して、杏奈が何事もなかったかのようにそう言った。いや、実際杏奈には何事も起きていなかった。
鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けているのは俺だけだった。14歳の俺は、想像したことのない環境を目の当たりにして、言葉を失っていた。

「…ぷっ」

杏奈がそんな俺の顔を見て噴き出した。

「何その顔。同情してんの? 馬鹿だね。」

馬鹿だ、というのは杏奈の最大の嘲りの言葉だと、その時にはもう理解できていた。
血の気が引いていた自分の顔に、今度はカッと血が上るのを感じた。

「俺はっ!!」

細い両肩をひっつかんだ。漫画バラバラと畳に落ちた。

「痛っ!! あんた何すんのよどういうつもり?!」
「俺は! 絶対同情なんかしないからな!!」

俺を睨みつけていた杏奈の顔が、ぽかんとした。

「はぁ?」
「お前の性格が悪いのは親のせいでも環境のせいでもねえ! お前のせいだ! お前が可哀想ぶっても、俺は一切同情なんかしないからな!!」

一息に怒鳴ったら。
いつもは怒鳴り返してくるはずの杏奈が、一瞬口元を緩めて。
あっそう、と言った。

それだけだった。

だけどその日から、杏奈は俺に心を許し始めた…と、思う。
杏奈が俺に言いつける用事がなくても、よく一緒にいるようになった。
放課後はその狭い家にもよく行った。
ベッドに寝転がって漫画を読む杏奈の魅惑的な白い脚に見入っているとその脚で勢いよく蹴りを入れられたり、
隣で格闘ゲームに燃えている杏奈の頬にキスしようとして肘鉄を入れられたりしながら、ダラダラ過ごした。

そんなふうに一年近く経つうちに、杏奈のクラスにも、取り巻きなんだか信奉者なんだかよくわからない女友達ができ始めた。
そいつらと一緒に遊ぶこともあった。

「雪臣くんって彼氏なの?」と聞かれれば、
「あぁ、これはただの下僕。」と杏奈はこともなげに答えたものだ。
育ちの良いお嬢様たちの絶句する顔はなかなか見ものだった。
確かに恋愛的な進展はゼロだったが、よく怒鳴り合い、喧嘩をしながらも、俺は結構楽しかった。杏奈もきっとそうだと、思っていた。


――なのに。


杏奈は突然姿を消した。







< 44 / 98 >

この作品をシェア

pagetop