スノー アンド アプリコット
「……杏奈?」
ただ散歩に出た、なんてはずがないのは、一目瞭然だった。
家具や電化製品はそのままだったが、常にあれだけ散らかりに散らかりまくっていた部屋が、きちんと片付けられていた。少ない衣類は綺麗に消え、ベッドカバーなどの類はきちんと畳んで重ねられていた。それから、脚の短いテーブルには大きな封筒と、小さな封筒が二つ、揃えて置かれていた。
俺はテーブルに飛びついた。
大きな封筒にはこの部屋の契約書が入っていた。片方の小さな封筒には、家賃3ヶ月分と、部屋の鍵。
もう片方には、200万と…
残りの万札を数える前に、俺は昨日からつけたままの腕時計を見た。始発はまだだ。
俺は部屋を飛び出した。
夜霧が残る、冷たい空気を切って走る。
ーーー畜生、畜生、畜生。
「ちくしょう…!!」
携帯なんか鳴らすだけ無駄だ。とにかく走れ。
仕事はどうするんだ。
絶対に公務員の座は手放さないと、朝礼が無意味だのクソババアがうざいだの言いながら、無遅刻無欠勤で通い続けた区役所にも、今日から行かない気なのか。
だけど杏奈は行方をくらますと決めたら、やるだろう。
一度やったことだ、二度目はもっとうまくやるかもしれない。
一井に頼るとも思えない。
またかよ。
せめて置き手紙とかないのかよ。
居場所のヒントとか、言いたいこととか、なんかあんだろ!!
俺は全力疾走で最寄り駅に向かう。
ボロい他に、駅から遠いから、あのアパートは家賃が安いのだ。だけど、杏奈は終電を逃した時以外、タクシーを使わない。それに賭けるしかない。
始発に間に合うかどうかはギリギリだ。
昨日から走り通しでいい加減足が痛い。寝不足で、息もすぐに上がった。
だけどここで一瞬でも休んだら、一生後悔する。
二度とごめんなんだ、お前と離れるのは。
あんな空虚な日々をまた送るなんて、考えられない。
何故いつも俺を置いていこうとする?
親から逃げたいなら、俺も連れて行けよ、馬鹿野郎。