偽りの姫は安らかな眠りを所望する
彼女にはフィリスにかける言葉も資格もないのだと嘲笑うような不快な空気が、嫌な汗をかいていた身体にまとわりつく。

心臓の脈打つ音がフィリスに届いてしまうのではと錯覚するほどの静寂に、息が詰まりそうになったとき、鈍く小さな音が聞こえてきた。

遠慮がちに扉を叩く音の後に続いたのは、部屋の中にいる者の安否を気遣うシーラの声。

「フィリス様、何事かございましたでしょうか?」

廊下に散乱した茶器の惨状に見回りの者が気づいて、彼女を呼んだらしい。突然訪問した高貴な客人の素性は屋敷内でもごく一部の人間にしか知らされていないため、侍女頭に判断を仰いだのだ。

動こうとしない彼の代わりにティアが対応に出る。中から彼女が現れたことに、シーラが軽く目を見開いた。

「すみません、あたしが落としたんです。今、片づけます」

屈もうとしたティアの肩をシーラが止める。

「……なにか、ありました?」

心配そうに顔を覗きこんだシーラが、温かな手でティアの頬に残る涙の跡を拭う。そこで初めて、ティアは自分が泣いていたことを知った。

「い、いえ。お届けしたお茶を零してしまって。……ちょっと怒られてたんです」

作り笑いを浮かべ、手の甲でごしごしと頬を拭き明るさを装う。もう片方の手は、無意識に胸元の肩掛けをかき合わせていたいた。

「そうだったの」

些か苦しい言い訳をシーラはどうにか呑み込んでくれたようで、ティアは小さく安堵の息を零す。その様子にシーラは眉を曇らせていた。

「ここは私が片づけますから、あなたはもう部屋にお戻りなさい」

「でも」

背中を押されても未練がましく振り返るティアを、シーラは厳しい口調で窘める。

「若い娘がそのような姿で部屋の外に出るものではありませんよ。さあ、早く」

彼女にまで指摘され、また顔に熱がぶり返す。ついいつも格好のつもりでいた。あられもない姿をフィリスやラルドに晒していたのかと軽率な行動を反省しながら、「はい」と消え入りそうな返事をしたティアは、あてがわれた客室へと向かう。

その足を再びふと止めてしまった。
< 100 / 198 >

この作品をシェア

pagetop