偽りの姫は安らかな眠りを所望する
* * *
開けていない窓から見るともなしに外を眺めていたフィリスは、小さな人影が湖の方へ向かっていくのをみつけた。
あの髪の色は見間違えようがない。ティアだ。
彼は反射的に手にしていたものを握り締める。そこからは、閉め切った室内に入ってくるはずのない香りが濃く漂っていた。
ロザリーが我が子のために、優れない体調を押して手作りしたという産着や小物たち。それらには彼女が使用していたという香油の香りが、移り香となって残っていた。
不思議なことに十八年経ったいまでも消えることなく香りを放つ。むしろ、作られた当時よりも濃くなっていくようだ。
この匂いを嗅ぐと、覚えてもいないはずなのに母のことが思い起こされる。そして、薔薇の花に埋もれるように棺の中で眠る姿までも……。
フィリスは何度も捨ててしまおうと思った。母が我が子を手放したように。
だがそれもできず部屋の片隅に置いている自分は、結局、家の名を捨てられなかった母と同じ。
ティアの母親のように、なにもかもを捨ててしまえる勇気がない。
ティアを怨むのは筋違いだということはよくわかっている。それなのに、彼女の顔を見ることができないのはなぜなのだろう。
自分がこんなにも情けない男だったとは思ってもいなかった。
こんな人間が王になどなって良いわけがない。
フィリスがとっくに手先さえも通せなくなった産着を長椅子に放り投げ、扉へ向かうために立ち上がると、ふらりと目眩を覚えた。ここ数日、満足な睡眠が取れていない。そのせいだろう。
深い嘆息をもらして頭を軽く振ると、再び足を進めた。
久しぶりに外に出たフィリスは、額に翳した手の下で目を細める。
幾分和らいだとはいえ、室内に籠もりっぱなしだったフィリスの色素の薄い瞳に昼下がりの日射しは眩し過ぎた。
そういえば、外に行くときは習慣のように被っていた帽子を忘れてきたことに気づいた。
下ろしたままの髪が風に揺れる。
ちらりと自室の窓を見上げたが、フィリスは取りに戻ることなく庭を歩き始めた。
開けていない窓から見るともなしに外を眺めていたフィリスは、小さな人影が湖の方へ向かっていくのをみつけた。
あの髪の色は見間違えようがない。ティアだ。
彼は反射的に手にしていたものを握り締める。そこからは、閉め切った室内に入ってくるはずのない香りが濃く漂っていた。
ロザリーが我が子のために、優れない体調を押して手作りしたという産着や小物たち。それらには彼女が使用していたという香油の香りが、移り香となって残っていた。
不思議なことに十八年経ったいまでも消えることなく香りを放つ。むしろ、作られた当時よりも濃くなっていくようだ。
この匂いを嗅ぐと、覚えてもいないはずなのに母のことが思い起こされる。そして、薔薇の花に埋もれるように棺の中で眠る姿までも……。
フィリスは何度も捨ててしまおうと思った。母が我が子を手放したように。
だがそれもできず部屋の片隅に置いている自分は、結局、家の名を捨てられなかった母と同じ。
ティアの母親のように、なにもかもを捨ててしまえる勇気がない。
ティアを怨むのは筋違いだということはよくわかっている。それなのに、彼女の顔を見ることができないのはなぜなのだろう。
自分がこんなにも情けない男だったとは思ってもいなかった。
こんな人間が王になどなって良いわけがない。
フィリスがとっくに手先さえも通せなくなった産着を長椅子に放り投げ、扉へ向かうために立ち上がると、ふらりと目眩を覚えた。ここ数日、満足な睡眠が取れていない。そのせいだろう。
深い嘆息をもらして頭を軽く振ると、再び足を進めた。
久しぶりに外に出たフィリスは、額に翳した手の下で目を細める。
幾分和らいだとはいえ、室内に籠もりっぱなしだったフィリスの色素の薄い瞳に昼下がりの日射しは眩し過ぎた。
そういえば、外に行くときは習慣のように被っていた帽子を忘れてきたことに気づいた。
下ろしたままの髪が風に揺れる。
ちらりと自室の窓を見上げたが、フィリスは取りに戻ることなく庭を歩き始めた。