偽りの姫は安らかな眠りを所望する
「――すごい」

辿り着いた先でティアは息を呑む。その空気さえもが、薔薇を直接口にしているかのような芳香でむせそうになった。

湖を見下ろすような位置に、ティアがいままで見たこともない薔薇が群生していたのだ。

幾重にも重なった純白の花びら一枚一枚に紫の縁取りがされている。見た目の美しさもさることながら、なんといってもその香り。

薔薇本来の盛りの季節は過ぎているはずなのに、満開に咲き乱れる花々から発せられるそれはとてつもなく濃く甘い。

圧倒され立ち尽くしていたティアの目が、その花と芳香に守られるように中心に建つ白い石碑を見つける。
下から確認できた光の原因は、その石が陽光を受けて煌めいているものだったらしい。

誰か訪れる者がいるのだろうか、薔薇の群を縫うような細い道が作られていた。

邪魔になりそうな籠を下ろし道を進もうとしたティアの隣に、追いついたフィリスが並ぶ。すると、行くのを止めるように肩を掴まれ引かれてしまう。

「あれがどうかしましたか?」

硬い表情をして石碑を睨みつける顔を覗くと、フィリスは切なげなため息を吐き出す。

「あれは……母の墓石だ。ずいぶんと来ていなかったが、こんなことになっているとは」

「久しぶりって、どのくらいいらしてなかったんですか?」

そう訊くティアも、両親の墓参りなどクレトリアに来てから一度もできていない。だがそれは墓が異国にあるせいだ。

そこにもフィリスとロザリー母子の間にある溝の深さが窺えた。

「さあ。十年は経つはずだが」

辺りを見回したフィリスがぼそりと呟く。これだけの薔薇が自生したとは考え難い。誰かが手をかけてここまでにしたのだろう。
不審に眉根を寄せる彼の手をティアが取る。

「せっかく来たんです。お母様にご挨拶していきませんか?」

一瞬、ティアの手の中でフィリスの手が強張るのが感じられた。そこへもう片方の手も添える。

「あたしにもご挨拶させてください。母のこと、ご報告したいんです」

ティアの言葉にフィリスがゆるりと顔を上げた。その眉を柄にもなく少しだけ下げ、ぎこちない微笑みを浮かべる。

「そう、だな」

吐息と共に落とされた応えに頷くと、ティアは彼の汗の滲む手を引いて薔薇の小道をゆっくりと進み始めた。

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