偽りの姫は安らかな眠りを所望する
身体中が薔薇の精油に浸かっているのではないかと錯覚するほどの芳香に包まれながら着いた先で、湖を眺めるようにひっそりと石碑は建っていた。
その周りは雑草などが取り除かれ小綺麗にされており、やはり何者かの手がかけられていることが見て取れる。

薔薇の香りに酔ったのだろうか。無機質な白い石が、ティアには凜と立つ女性の姿と重なった。

怖ず怖ずと腕を伸ばし磨かれた表面に手のひら全体で触れてみると、浴びた陽射しの暖かさが伝わってくる。そこを通して、亡き母の親友だったという佳人に語りかけた。

貴女と別れた後、母は長くはなかったけれどとても幸せに暮らしていました、と。

それに応えるようにそよそよと風が吹き、ティアは再び薔薇の香りに囲まれる。
瞼を閉じて、蕩けるように甘く、だがその中に鋭くも感じる芯がある香りごと息を吸い込んだ。

ゆっくりと開いた眼を所在なげに立つフィリスに向け、ティアは顔を綻ばせた。

「この薔薇は――、薔薇の香りは、きっとフィリス様のお母様に似ているのですね」

どこか焦点の合っていなかったフィリスの目が見開かれ、宝石のような紫の瞳に光が戻る。

「とても優しくて思考までもが溶けてしまいそうな甘い香り。だけど、その根底にはなにものにも侵し難い揺るぎない想いがあって、時にはそれが人を遠ざけてしまうこともあるけれど」

ティアは手近にある大輪の花を形作る花びらの縁の紫に、そっと指を沿わせて静かに息を吐く。

「胸の奥深くまで吸い込んでしまえば、どこまでもいつまでも大切に包み込んでくれる――そんな香りです」

白と紫の対比が美しい姿も、人の心を捉えてしまう香りも。この薔薇のすべてがロザリーと、そして彼女に生き写しだという、目の前にいるフィリスのようだ。

そう思い至ると、花に触れることが禁忌のように躊躇われて手を離した。

ティアはざわつく胸をごまかすように石碑に向かい直すと、先日の雨で汚れたのか、こびり付いている泥を取り出した手巾で拭う。するとそこに小さな文字が現れた。

「……国王様も、そんなロザリー様だったから手放すことができなかったのではないでしょうか」

ティアの手許を覗きこんだフィリスが、墓石に刻まれた文字を読み目を細めた。

『我が妻ロザリーに安らかな眠りを』

正妃ではないロザリーを『妻』と称したギルバート王の心の内は、推し量ることしかできない。だけどティアには、たった一言のこの言葉がすべてなのだと感じられた。
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