偽りの姫は安らかな眠りを所望する
ティアの背後から耳裏に深く吐き出されたため息がかかり、腰に腕が回されコツンと肩に重みが乗せられる。

「フィ、リス……様?」

ふわりと鼻腔をくすぐる甘ったるい香りが、無数に咲く花からなのかフィリスのものなのか、それさえわからなくなってしまうほど混乱したティアの鼓動は、どんどん速くなっていく。

首を捻ろうとした瞬間、「このままで」と短く命じられて動きを止める。

「頼む。少しだけ、このまま……」

もう一度耳元で囁き回された腕に力を込められれば、ますますティアの身体は固まった。

身動ぎもできずに密着した背中が熱くなり、心臓が後ろ側についていなくて良かったと本気で思う。

固定された視線で石碑越しに湖を見下ろした。波のない静かな湖面が、次第にティアの高鳴りも落ち着かせていく。そうなると今度は、呼吸で上下するフィリスの胸の動きが背中越しに伝わってきて逆効果。

「あのっ! そろそろ……」

羞恥の限界を感じて振り返ろうとしたティアにかかる重さが、急に増した。

「なんで? きゃっ!!」

耐えきれずにつんのめり、地面に頭を打ち付ける覚悟をしたティアの背が不意に軽くなる。同時に腕を強く引かれて、どうにか転倒を免れた。

「間に合ってよかった。大丈夫かい? まさか先客がいるとは思わなかったけど」

救世主の柔らかな声を辿ったティアは、目を瞬かせる。

「セオドールさん? どうしたんですかっ!?」

彼は片腕にくったりと脱力したフィリス抱えている。耳を澄ませば、微かな寝息が聞こえてきた。

「うん。寝ちゃったみたいだね」

セオドールがよっこいしょっとフィリスを抱え直しても、いっこうに起きる気配はない。寝不足の上に、歩いたり走ったりしたせいだろうか。

それでも穏やかな寝顔は、ティアを安心させた。

「でも、セオドールさんがどうしてここに?」

フィリスを起こさないよう小声で訊ねながら、薄らと確信する。ここの薔薇を手入れしているのは彼だろう。
薔薇など知らないと言っていたのは嘘だったのかと尖らせようとした口が、返ってきた応えにぽかんと開く。

「君たちと同じ。会いに来たんだよ、姉に」

「姉……姉ってっ!?」

思わず出してしまった大声にティアが口を手で押さえる。
セオドールは視線と落としフィリスの目が閉じられたままなのを確認すると、小さく頷いた。

「僕はね、そこに眠るロザリーの弟。この子の叔父なんだ。そしてティア、君のお母さんのことも知っているよ。――もう一度お会いしたかったな」

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