偽りの姫は安らかな眠りを所望する
セオドールの襟を鷲掴むフィリスと、やや苦しげに顔を歪めるセオドールの間にティアが割って入る。
「手を。フィリス様、手を離してください」
彼女らしからぬ低い声色に気圧されたフィリスが力を緩めると、セオドールが小さく咳き込む。よほど力が入っていたらしい。
ティアは彼の左手を取り、甲に触れないようにそっと持ち上げた。
「まずはこの手を冷やしましょう」
そこでようやく自分のしたことに気づいておろおろとするフィリスを軽く睨んでから、ティアは瓶から掬った水を様々な器具が並ぶ棚から取った盥に移す。そこへセオドールの薄らと赤くなっている手を浸ける。汲み置きの水だが、やらないよりはましだ。
何度か水を入れ替えて冷やしてから手を引き揚げ、同じく棚から失敬した手拭きでそっと水気を拭う。
ティアは背負籠に括り付けていた巾着から、小瓶を一本取り出した。そこから中の赤みがかった液体をセオドールの手の甲に垂らして塗り広げ、清潔な布を裂いて巻いていく。
処置をする手を動かしながら、ティアはこれまで聞いていたセオドールの話から自分なりに感じたことを、ありまま伝えようと思った。
「生きていくだけで精一杯で、他の人の生活まで考えるなんてしたことないあたしが言っても、生意気と思われるだけかもしれないですけど」
「なんだい?」
いったん手を止めたティアが深呼吸して、されるがままの自分の手に落としていた緑の瞳が上がるのを待つ。ゆるりと力なく向けられた視線を、ティアは正面から見返した。
「セオドールさんはさっきから『捨てた』って言いますけど、今はここに、フィリス様のお側にいますよね? もし本当に捨てたかったのなら、たとえロザリー様のお墓があったとしても館の近くには立ち寄らなかったでしょうし、どんなにダグラスさんが泣いたり怒ったりしても、この場所に留まろうとしなかったんじゃないでしょうか」
ティアの手の中で、セオドールの指先が微かに動いた。即席の包帯を巻き終わった手を、布の上からそっと両手で包む。
「一度この地を離れたのも、自分の身と心を守るため。領主としての権利をヘルゼント家に譲ったのは、領民を思ってのこと。それをセオドールさんが『選択』したのだとは思えませんか?」
「ずいぶんと僕に都合の良い解釈だね。でも……選択、か」
セオドールは与えられた言葉を反芻するように呟く。ティアは少しだけ自分の手に力を入れる。
「たとえ選択した道が他人からは馬鹿げているようにみえても、不幸だと思われたとしても。後悔をしていなければ、それが自分にとっての正解なんじゃないかな、って。セオドールさんは、ここに帰ってきたことやフィリス様の側にいることを後悔していますか?」
不意に両親のことが頭に浮かび、声が震えそうになるのを堪えた。
「手を。フィリス様、手を離してください」
彼女らしからぬ低い声色に気圧されたフィリスが力を緩めると、セオドールが小さく咳き込む。よほど力が入っていたらしい。
ティアは彼の左手を取り、甲に触れないようにそっと持ち上げた。
「まずはこの手を冷やしましょう」
そこでようやく自分のしたことに気づいておろおろとするフィリスを軽く睨んでから、ティアは瓶から掬った水を様々な器具が並ぶ棚から取った盥に移す。そこへセオドールの薄らと赤くなっている手を浸ける。汲み置きの水だが、やらないよりはましだ。
何度か水を入れ替えて冷やしてから手を引き揚げ、同じく棚から失敬した手拭きでそっと水気を拭う。
ティアは背負籠に括り付けていた巾着から、小瓶を一本取り出した。そこから中の赤みがかった液体をセオドールの手の甲に垂らして塗り広げ、清潔な布を裂いて巻いていく。
処置をする手を動かしながら、ティアはこれまで聞いていたセオドールの話から自分なりに感じたことを、ありまま伝えようと思った。
「生きていくだけで精一杯で、他の人の生活まで考えるなんてしたことないあたしが言っても、生意気と思われるだけかもしれないですけど」
「なんだい?」
いったん手を止めたティアが深呼吸して、されるがままの自分の手に落としていた緑の瞳が上がるのを待つ。ゆるりと力なく向けられた視線を、ティアは正面から見返した。
「セオドールさんはさっきから『捨てた』って言いますけど、今はここに、フィリス様のお側にいますよね? もし本当に捨てたかったのなら、たとえロザリー様のお墓があったとしても館の近くには立ち寄らなかったでしょうし、どんなにダグラスさんが泣いたり怒ったりしても、この場所に留まろうとしなかったんじゃないでしょうか」
ティアの手の中で、セオドールの指先が微かに動いた。即席の包帯を巻き終わった手を、布の上からそっと両手で包む。
「一度この地を離れたのも、自分の身と心を守るため。領主としての権利をヘルゼント家に譲ったのは、領民を思ってのこと。それをセオドールさんが『選択』したのだとは思えませんか?」
「ずいぶんと僕に都合の良い解釈だね。でも……選択、か」
セオドールは与えられた言葉を反芻するように呟く。ティアは少しだけ自分の手に力を入れる。
「たとえ選択した道が他人からは馬鹿げているようにみえても、不幸だと思われたとしても。後悔をしていなければ、それが自分にとっての正解なんじゃないかな、って。セオドールさんは、ここに帰ってきたことやフィリス様の側にいることを後悔していますか?」
不意に両親のことが頭に浮かび、声が震えそうになるのを堪えた。