偽りの姫は安らかな眠りを所望する
「……なにをなさってるんですか」
水音に気づいて、思考の淵から浮上したティアは愕然とした。腕まくりで洗濯をしているフィリスの姿が目に入ったからだ。
「見たままだろうが。手伝ってやる」
「止めてください! あたしが怒られます」
水を吸って重くなった布を彼の手から奪い取ろうとして失敗する。ぴしゃんと跳ねた水滴がふたりに降りかかった。
顔についたそれを手の甲で乱暴に拭いながら、フィリスは怪訝な表情を浮かべる。
「誰が怒る? ここの主は私だ。その私が好きでやっているんだから、文句を言う者はいないと思うが」
屁理屈をこねる。どこの国に、洗濯に精を出す王子がいるというのだろうか。
「あなたがこんなことをする必要はないんです」
「……自分のことを自分でして、なぜいけない?」
フィリスは再びごしごしと洗い始めてしまう。その手つきがあまりにもぎこちなくて、ティアは諦念の微苦笑を浮かべた。
籠から一枚洗濯物を取り出しフィリスの隣に並ぶ。
「そんなやり方では、一枚洗うだけで日が暮れてしまいますよ」
同じところばかり熱心に擦っている手元を覗き込む。どうやら、なにかを零したらしい茶色の染みと格闘しているようだ。彼が洗っているのは食卓の敷物だから、たぶん食べ物の染みだと思われる。そしてそれは、くしくもフィリスが言ったように、彼自身が食事の際に付けたもの。
むきになって擦るだけでは生地を傷めるだけで、汚れは落ちない。
「これを使ってみてください」
ティアは白っぽい塊を手渡した。
「これも石鹸か? いいものがあるなら早く貸してくれ」
決まり悪く引ったくるように受け取ったそれを、フィリスは矯めつ眇めつ見つめる。果ては鼻に近づけて、物珍しげに匂いを嗅いでいる。
「なにか特別なものが入っているとか?」
「祖母特製の石鹸です。香り付けに精油も使っていて。ちょっともったいないのですが、少しくらい楽しみがないとなかなかに辛い仕事なので」
高価な精油を混ぜた石鹸を、洗濯などに使ってしまうのはかなりの贅沢。だけど今日ばかりは、大量の洗濯物と戦うのに気合いを入れるつもりで、とっておきのものを持ってきていた。
「ふうん」
フィリスはもう一度石鹸を嗅ぐと、なぜかティアの方を向き首筋に顔を寄せてくる。あと少しで肌に鼻先が触れそうなほど近づくと、すうっと鼻から息を吸い込んだ。
「な、なんですかっ!?」
朝から仕事をし通しで汗もかいている。間近で匂いなど嗅いで欲しくないという乙女心をまったく無視したフィリスの行動に、ティアは全力で身体をのけ反らせた。それなのに――。
水音に気づいて、思考の淵から浮上したティアは愕然とした。腕まくりで洗濯をしているフィリスの姿が目に入ったからだ。
「見たままだろうが。手伝ってやる」
「止めてください! あたしが怒られます」
水を吸って重くなった布を彼の手から奪い取ろうとして失敗する。ぴしゃんと跳ねた水滴がふたりに降りかかった。
顔についたそれを手の甲で乱暴に拭いながら、フィリスは怪訝な表情を浮かべる。
「誰が怒る? ここの主は私だ。その私が好きでやっているんだから、文句を言う者はいないと思うが」
屁理屈をこねる。どこの国に、洗濯に精を出す王子がいるというのだろうか。
「あなたがこんなことをする必要はないんです」
「……自分のことを自分でして、なぜいけない?」
フィリスは再びごしごしと洗い始めてしまう。その手つきがあまりにもぎこちなくて、ティアは諦念の微苦笑を浮かべた。
籠から一枚洗濯物を取り出しフィリスの隣に並ぶ。
「そんなやり方では、一枚洗うだけで日が暮れてしまいますよ」
同じところばかり熱心に擦っている手元を覗き込む。どうやら、なにかを零したらしい茶色の染みと格闘しているようだ。彼が洗っているのは食卓の敷物だから、たぶん食べ物の染みだと思われる。そしてそれは、くしくもフィリスが言ったように、彼自身が食事の際に付けたもの。
むきになって擦るだけでは生地を傷めるだけで、汚れは落ちない。
「これを使ってみてください」
ティアは白っぽい塊を手渡した。
「これも石鹸か? いいものがあるなら早く貸してくれ」
決まり悪く引ったくるように受け取ったそれを、フィリスは矯めつ眇めつ見つめる。果ては鼻に近づけて、物珍しげに匂いを嗅いでいる。
「なにか特別なものが入っているとか?」
「祖母特製の石鹸です。香り付けに精油も使っていて。ちょっともったいないのですが、少しくらい楽しみがないとなかなかに辛い仕事なので」
高価な精油を混ぜた石鹸を、洗濯などに使ってしまうのはかなりの贅沢。だけど今日ばかりは、大量の洗濯物と戦うのに気合いを入れるつもりで、とっておきのものを持ってきていた。
「ふうん」
フィリスはもう一度石鹸を嗅ぐと、なぜかティアの方を向き首筋に顔を寄せてくる。あと少しで肌に鼻先が触れそうなほど近づくと、すうっと鼻から息を吸い込んだ。
「な、なんですかっ!?」
朝から仕事をし通しで汗もかいている。間近で匂いなど嗅いで欲しくないという乙女心をまったく無視したフィリスの行動に、ティアは全力で身体をのけ反らせた。それなのに――。