偽りの姫は安らかな眠りを所望する
「フィ……ル?」

「今日のこと、楽しみにしすぎたのか……な」

瞼を下ろしたままむにゃむにゃと口を動かす。ほどなくして膝にかけられた重みと静かな寝息が、彼が完全に眠ってしまったことを伝えた。

王位継承者として王宮に戻れば、このように気軽な外出をすることなどできなくなるだろう。自分のせいで、フィリスが窮屈な生活に身を置くことになるのかと思うと、どうしようもなく胸が苦しくなる。
だが、彼が王子として正体を明かさなければ、自分は顔も知らないイワン王子と結婚させられてしまうかもしれない。
ティアは、己の手の届かないところで勝手に自分の運命を動かされることに強い憤りを感じていた。

歯痒い思いで唇を噛み視線を落とすと、フィリスの美しい寝顔がそこにある。よい夢でも見ているのか、薄紅色の唇の両端が微かに上がっていた。
ティアは綻ぶ花びらに触れるようにそっと指先を伸ばす。

薬指の先が掠めた瞬間、ティアの膝の上でフィリスの頭が動く。起こしてしまったのかと慌てて手を引き息を潜めるが、こちらを向いた彼の睫毛が揺れた。細く開いた瞼の間から紫の瞳が覗き、笑みを深めた口元が声にならない言葉を紡ぐ。

「ごめんなさい。起きちゃった?」

声を聞き取ろうと上半身を前に倒したティアの頭の後ろにフィリスの手が回る。加えられる力に身を任せると、そのまま互いの顔が近づいていく。

思わず目を瞑ってしまい、固く結ばれたティアの唇に触れたのは、紛れもなくついさっきまで笑みを湛えていたフィリスのそれで。
温かく優しい口づけは、ぱたんと力なく彼の手が落ちるまで続いた。

叫びそうになる口を両手で押さえ、その手の中でまた唇に感触が蘇る。破裂しそうなほど激しく鼓動を刻む心臓。喉は呼吸もできないくらいに詰まって苦しい。
顔に血が上り動転するティアとは裏腹に、フィリスは膝枕で再び目を閉じていた。

「寝惚けた……とか」

ティアが小声で絞り出した結論には、どう考えても無理がある。けれど、今の状況ではそうとしか説明がつかないくらい、深い眠りに落ちているフィリスの安らかな寝顔。

未だ鳴り止まない胸の高鳴りをひとつふたつと数えながら、ティアは「就寝の挨拶」の一種だと思い込もうとしていた。
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