偽りの姫は安らかな眠りを所望する
その刹那。パンッ! と高い音が回廊に反響する。空いていた方の手で、ティアがラルドの頬を張った音だ。

「父さんは愚かなんかじゃありません」

「どうして? 姉上を不幸にしたじゃない」

赤みが増していく頬に手の甲を当てながら、心外だと言わんばかりに語気を強める。同じ顔同じ声のはずなのに、実は叔父だと知った彼が、かえってまったく知らない人になったようだ。

ティアはたじろぎそうになる自分を必死で鼓舞して言い募る。

「母さんは父さんと結婚して幸せでした。……病気で亡くなってしまったことは残念ですけど。でもっ! 母さんは、自分の選んだ人生に後悔なんて決してしていません。側にいた娘のあたしがいうのだがら、これだけは確かです。それに……」

真正面から冷めきった青い眼を見据えていたティアの瞳が、ふらっと揺らぐ。乾いた唇を何度か開け閉めしながら発言を躊躇った後、硬質な廊下の床に目を落とした。

「もし母さんが国王様のお妃になっていたら、フィリス様のお母様みたいなことになったかもしれないじゃありませんか」

ロザリーはルエラの身代わりとなり望まぬ婚姻を強いられ子を産み、そして殺されたも同然の死を迎えた。その方がずっと不幸なのではないか。

結果論だとしてもフィリスには辛い事実に違いない。その原因の娘が目の前に現れたことをどう思っただろうか。

俯いたティアの頭上にくつくつとした笑い声が落とされ、訝かしげに顔を上げた。

「君は姿形は姉上なのに、中身はあの浅はかな男に似ているんだね。残念だよ」

「なっ……!!」

まだ父親のことを悪し様に言うラルドのティアを見下ろす視線と言葉が、彼女の心を凍りつかせる。

「たとえ同じようなことになったところで、あの父が自分の娘をそんな簡単に死なせるはずないだろう? むしろ状況を逆手に取って、でっち上げだろうがなんだろうが証拠を突き付け、全力でブランドル家を失墜させただろうね」

「なら、どうして旦那様はロザリー様を助けてはくださらなかったのですか?」

疑問を口にしながら、いつも自分に厳しい目差し向けるあの人は、母の父、つまり祖父だったのだと、頭の片隅で朧気に思う。天涯孤独のはずだったティアに突然増えた血族は、血の濃さなど関係ないくらい遠い存在に感じられた。

「さあ? 欲しかったものはもう手に入れたから、なんじゃないのかな」

ヘルゼント家が欲しかったもの――己の意のままに動かせる次の王となる男子。
フィリスのことをまるでもののように言う彼に、ティアは嫌悪感を隠せず眉根を寄せた。
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