偽りの姫は安らかな眠りを所望する
その歪んだ顔をラルドが顎に指をかけて持ち上げる。

「貴族の家に生まれた娘はね、政の駒なんだよ。ティア、君もそう」

「あた、し、は……、違い、ます」

仰向けられた喉から出す、掠れた声で否定する。たとえ母が彼の姉だろうと、自分はヘルゼント伯爵家とはなんの関わりもない人間だ。

「駒はなにも考える必要はない。指し手のいう通りに動くだけでいい。そうすれば、幸せになれるんだから。君は姉上からその権利を譲ってもらったんだよ」

「どういう、意味ですか?」

ティアはラルドの手を払いのけ不審の目で睨む。弾かれた手を一瞥した彼が不快感を露わにした。

「おかしいね。僕の可愛いティアはこんな子じゃなかったはずだよ。もっと従順で自分に自信がなくて。やっぱり不吉な色を纏っているせいかな。せめて髪だけでもなんとかするように、マールに命じておけばよかった」

嘆息を吐くラルドをティアは困惑の表情で見返す。彼女に闇色の伝承を教えたのは、他ならぬ彼だったから。

「そんなの、古い言い伝えだと。今はそんなことを言う人はいないと聞きました」

「誰がそんな余計なことを?」

両親を亡くし誰も知り合いのいないこの家に連れてこられ、不安でいっぱいだったティアの髪と瞳を見たラルドは痛ましげに目を細め、小さな頭を抱きしめてくれた。

『君の髪や眼の色のことを、心ない人は悪く言うかもしれない。だからこの屋敷から出てはいけないよ。大丈夫、僕が守ってあげる。僕の言うことだけを聞いていれば、間違いはないよ』

あの言葉は優しさから出たものではなく、ティアの心を縛るものだったと悟り愕然とする。

人目を気にしながら、実際は血縁などなかったマールと隠れるようにひっそりと暮らしていたのも、ティアの自立心を押さえつけるためもの。
自分には居場所がなかったんじゃない。ここに心も身体も留められていたのだ。

ティアは震える拳を握り締めた。

「フィリス様はこの髪をキレイだって言ってくれました。魔の色なんかじゃないって」

大好きだった父譲りの色にいつしか劣等感しか抱けずにいた髪を褒め、口づけまでしてくれた。そのことがいまさらながらに思い出されて、冷え切っていたティアの胸の中にほんのりと暖かいものが宿る。

「姫が? ……そう」

ラルドは軽く目を瞠り、細い顎に手を添えしばらく思案した後、壁の肖像画の一点――ルエラに語りかけるように視線を固定する。その瞳には、もうティアのことなど映っていないようだ。

ティアは置き去りになっていたお盆を持つと、そっとその場から立ち去った。

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