偽りの姫は安らかな眠りを所望する
*
ティアは厨房へ引き返して、すっかり冷めてしまった湯を沸かし直す。
こんなときにと思わないでもなかったが、手を動かしている方が気が紛れるし、香草の香りを嗅げば少しは冷静に物事を考えられる。
沸騰を待つ間に棚の壺の蓋を開け、片っ端から鼻を寄せてみた。ツンっと鼻にくる刺激的なものやすっきりと爽やかな香りなど食欲をそそられるものばかりで、ティアの気持ちを落ち着けてくれそうなものはみつからない。
そうこうしているうちに、白い湯気が昇り始めてお湯が沸いたことを知らせる。
ティアはポットの湯を入れ替えると、再び厨房を後にした。
今度は道を間違えないよう、手元も足下にも気を配って歩く。
フィリスの部屋に向かっているのはさっきと同じはずなのに、ひとつ曲がり角を間違えてしまったせいで、大きく心持ちが変わってしまっていた。
難なく辿り着いてしまったフィリスの部屋は、訪問を拒むように固く閉ざされてる。その扉の前で、ひとつ深呼吸した。
片手で重たい盆を支えて空けた手を緊張で震わせながら、控え目に戸を叩くが、内側からの返答はない。
次はもう少し強めにしてみたが、やはり応えは返ってこなかった。
「フィリス様、ティアです。香茶をお持ちしたのですが……」
不在のはずはないのだが、ティア同様に予想外のことを知った彼にも、いろいろと思うところがあるのだろうか。かける声も尻すぼみになってしまう。
諦めたティアが引き返そうとしたとき、唐突に扉が開いた。
「おまえはいったいなにをしているんだ」
気怠げに髪をかき上げたフィリスが、開けた扉の枠に寄りかかって眉をひそめる。眠っていたわけではなさそうなのは、廊下で会ったときと変わっていない服装から見て取れた。
「お約束していた……」
すべてを言い終わらないうちに腕を引かれた。持っていた茶器たちは、驚いたティアの手から放れ盆ごと落下する。
「あっ!」
硬い床の上で繊細な磁器が粉々に砕け散る音は、ほぼ同時に鳴った雷に掻き消された。
勢いよく落ちたポットの中の湯はまだ十分に熱く、零れて跳ね上がった飛沫がティアの胸元に辿り着いて、小さな火傷を創る。
鋭い痛みを感じて僅かに顔をしかめた彼女に目を向けることなく、フィリスは細い腕を掴んだまま室内へと引き込んだ。
ティアは厨房へ引き返して、すっかり冷めてしまった湯を沸かし直す。
こんなときにと思わないでもなかったが、手を動かしている方が気が紛れるし、香草の香りを嗅げば少しは冷静に物事を考えられる。
沸騰を待つ間に棚の壺の蓋を開け、片っ端から鼻を寄せてみた。ツンっと鼻にくる刺激的なものやすっきりと爽やかな香りなど食欲をそそられるものばかりで、ティアの気持ちを落ち着けてくれそうなものはみつからない。
そうこうしているうちに、白い湯気が昇り始めてお湯が沸いたことを知らせる。
ティアはポットの湯を入れ替えると、再び厨房を後にした。
今度は道を間違えないよう、手元も足下にも気を配って歩く。
フィリスの部屋に向かっているのはさっきと同じはずなのに、ひとつ曲がり角を間違えてしまったせいで、大きく心持ちが変わってしまっていた。
難なく辿り着いてしまったフィリスの部屋は、訪問を拒むように固く閉ざされてる。その扉の前で、ひとつ深呼吸した。
片手で重たい盆を支えて空けた手を緊張で震わせながら、控え目に戸を叩くが、内側からの返答はない。
次はもう少し強めにしてみたが、やはり応えは返ってこなかった。
「フィリス様、ティアです。香茶をお持ちしたのですが……」
不在のはずはないのだが、ティア同様に予想外のことを知った彼にも、いろいろと思うところがあるのだろうか。かける声も尻すぼみになってしまう。
諦めたティアが引き返そうとしたとき、唐突に扉が開いた。
「おまえはいったいなにをしているんだ」
気怠げに髪をかき上げたフィリスが、開けた扉の枠に寄りかかって眉をひそめる。眠っていたわけではなさそうなのは、廊下で会ったときと変わっていない服装から見て取れた。
「お約束していた……」
すべてを言い終わらないうちに腕を引かれた。持っていた茶器たちは、驚いたティアの手から放れ盆ごと落下する。
「あっ!」
硬い床の上で繊細な磁器が粉々に砕け散る音は、ほぼ同時に鳴った雷に掻き消された。
勢いよく落ちたポットの中の湯はまだ十分に熱く、零れて跳ね上がった飛沫がティアの胸元に辿り着いて、小さな火傷を創る。
鋭い痛みを感じて僅かに顔をしかめた彼女に目を向けることなく、フィリスは細い腕を掴んだまま室内へと引き込んだ。