よるのむこうに
彼は身をかがめて他の人に聞こえないように私の耳元で囁いた。
彼のまとう花の香りが柔らかく私を包み込み、なんだか変に緊張してしまう。
「今日はアパレルメーカーのサンプル写真撮影なんだ。
メーカーの仕事って結構いろいろ制約がある上にギャラ関係で嫌がるやつが多くてさ。
天馬も癇癪持ちだろ、撮影の途中で逃げるかと思って俺も一応顔を出しにきたんだ」
借金のかたに脱ぐ系の仕事をガンガン入れるなんて。しかも逃げないように社長自ら見張りにくるってちょっとひどい気がするが、それは私がこの業界を知らないがゆえにそう思うだけなのだろうか。
私は軽く彰久君をにらんだ。
「天馬が本気で逃げようと思ったら彰久君じゃ抑えられないと思うよ」
「抑えるのは無理だろうけど、あいつのかわりをつとめることはできる」
「え。脱ぐ気で来たの」
驚きのあまり声が大きくなった私を仕草でたしなめて、彼は頷いた。
「必要なら脱ぐよ。
あいつ、前にカメラマンと喧嘩して撮影を放棄して帰ったことがあるから、その話を知ってる関係者にはこういう条件をつけないと使ってもらえないんだよ。まあその時はカメラマンも悪かったんだけどさ」
喧嘩。天馬ならいかにもやりそうだ。今の天馬も短気だけれど出会った当初の天馬は今よりもっと短気で、何よりも喧嘩っ早かった。
「天馬の代わりか、大変だね……」
「ずっとはやらないよ。天馬のキャリアが軌道に乗るまでの期間限定サービス」
「でも、所属モデルは天馬だけじゃないでしょ。すごいよ」
「モデルも事務所もお互いメリットがなきゃ一緒に仕事をしている意味がない。彼らのマネジメントを担っている以上こういうことも俺の仕事のうちだよ。何も特別なことじゃない」
彰久君は私よりも若いのに随分としっかりしている。さすが社長だ。しかも社長である彼自身が現役モデルなので所属モデルの代打だってこなせてしまうという有能ぶり。すごいの一言だ。
感心して彰久くんの華やかな美貌を見上げていたその時、撮影スタッフが天馬のジャケットを脱がせた。
照明の強い光の中に天馬のしなやかな体が浮かび上がった。
いつも見慣れているはずのその体から、私は思わず目をそらした。