よるのむこうに
「これ、書け」
天馬はベッドサイドのデスクに手を伸ばし、A4ファイルをベッドの上に放り出した。
私は目を凝らしてそれを見つめ、そしてそのファイルに挟まれた紙の茶色い罫線、そして同じく茶色で印字された『婚姻届』という文字にあっ、と思わず小さな声が出た。
婚姻届。
この男は今、一泊数千円のビジネスホテルの一室で、こんな脅迫まがいのやり方で、私にプロポーズしている。
私が少女だったころに夢見たプロポーズとは全く違う。ロマンチックでもないし目の前の男は優しくハンサムな王子様とはお世辞にもいえない。……いや、ハンサムはハンサムに違いないが、……獰猛な肉食獣みたいなハンサムだ。
こんな状況だというのに、私は喜びに震えた。涙がこみ上げてきた。そしてそれと同時に、今まで味わったことの無いほどの悲しみ苦しみを感じた。
「天馬……。これ、意味、わかってるの……?」
「これがなきゃお前の分のビザがとれないし、お前が居なきゃ試合に勝ったって意味も無ぇ」
「こんなの……無理だよ……」
「無理なことなんか何も無ぇよ。……お前には恨みしかねーけど……それでも、お前が居なきゃ俺はどこにも行けねえ。お前はもう俺の一部なんだよ、病気だからって切り離されたって……俺は痛くて不自由になるだけだ」
「天馬、やめて。私は聞かない!」
私は自分の両耳を両手で塞いだ。
私と一緒に暮らしていた間、天馬は一度も私を好きだとか愛しているだとか、そんな恋人らしい言葉は口にしたことはなかった。
今になって、2人の間がどうにもならないほど離れてしまった今になってそんな言葉を口にされても、せっかく決めた心がぐらつくだけ。苦しくなるだけだ。
けれど天馬は私のそんな思いを無視して私の両手首をつかんで耳から引き離した。
そして天馬ははっきりと口にしたのだ。