再生する




「詩織ちゃん、久しぶり」

「約束通り、詩織ちゃんが働いてる店で買うことにしたよ」

 優しい笑みを浮かべるふたりは、学生時代の友人――井原くんが働く会社の先輩カップル。柴田さんとすみれさん。
 少し前に井原くんの紹介で食事に行ったことがあり、そのときに「そのときが来たら詩織ちゃんの店に行く」と言ってくれていた。

 その時、とは。

「決まったんですね、結婚。おめでとうございます」

「ありがとう。この間すみれの実家に挨拶に行ってね」

「入籍は春、式は夏くらいになりそう。出席してよね」

「勿論。楽しみにしてます」

 元恋人の来店で憂鬱に拍車がかかっていたときだったから、ふたりが来てくれて本当に良かった。
 接客していれば、無意識に彼の様子を気にかけることもないし、なによりふたりの優しい笑顔は、どんよりしていた店内の雰囲気を変えてくれる。


 柴田さんとすみれさんと店内を見て回り、どんなデザインが良いか聞いて、パンフレットで数え切れないくらい多くの指輪を見た。
 柴田さんは「せっかく買うんだから」と、ダイヤモンドがリング一周を取り巻くエタニティリングをチョイスし、すみれさんは「シンプルなやつでいい」とウェイブラインが美しいシンプルな指輪をチョイスした。

「婚約指輪は買わないことにしたんだから、それも兼ねて良い結婚指輪にしたい。記念にもなるし、見ろよこのデザイン、愛は永遠に続くって感じじゃないか」と柴田さん。

「結婚指輪なんてずっと付けてるものだからシンプルでいいよ。ダイヤモンドなんて付いてたら、無くさないか壊れないか落とさないか、絶対気になっちゃうし。どうするの? ちょっと抜けてるあんたが指輪を無くしたら。目に浮かぶよ、どこに置いたか思い出せないどうしよう助けて、って慌てる姿が。今週はテレビのリモコン、先週は玄関の鍵、わたしの実家に行くときはせっかく買った菓子折りを忘れて慌ててたよね。そんなあんたがダイヤモンドの豪華な指輪つけて、平常心でいられる? 普通に仕事できる?」とすみれさん。

 すみれさんの圧勝だった。柴田さんは「う……」と言葉を詰まらせ、少し考えたあとで「シンプルなやつにしよう」と言った。


 そうしている間も、彼は神谷さんとジュエリーを選んでいた。店内のジュエリーを全て見る気なのか、神谷さんが紹介したものをことごとく却下し、かと思えば一度却下したものをもう一度出させていた。

 きっとわたしの反応を見るために長引かせているのだろうと解釈して、申し訳ない気分になった。これはもうわたしが接客して、彼の話を聞いたほうがいいかもしれない。

 その様子には気付かない柴田さんとすみれさんは、指輪が決まって上機嫌。どうやらこのあと食事に行くらしい。腕時計で時間を確認したすみれさんは、わたしの耳元に顔を寄せ「井原くんも来るから、詩織ちゃんもおいで」と小さな声で言った。いくら知り合いとはいえ、勤務中のわたしに配慮してのことだろう。

 わたしも時間を確認してから、お言葉に甘えることにした。素直に頷くと、すみれさんは「場所はメールしとくね」と言って、わたしの背中をぽんぽんたたく。
 元恋人が来店した憂鬱な雨の日にこのお誘いはありがたい。久しぶりに井原くんにも会いたいし、結婚を控えたふたりに、幸せを少し分けてもらいたい。

 店の外でふたりを見送り、ふうっと白い息を吐いた。

 閉店時間が迫っている。わたしの反応を見て楽しみたいだけの元恋人を、どうにかしなければ。




< 22 / 43 >

この作品をシェア

pagetop