夫の教えるA~Z
ここは、高校生まで彼が使っていた部屋だそう。

ベッドに勉強机、タンスに本棚…
少ない私物が整然と並んで、ムダなものがひとつもない。
ベッドの下まで覗いてみたけど、アダルトなご本も見つからなかった。

サスガ、うちの兄ちゃんとは違って隙はない。


本棚にあったアルバムをパラパラと捲ってみた。
高校時代の卒アルだ。

彼の姿はすぐにわかった。
野球部のコーナー、ど真ん中でキャッチャー防具を着けている。

見事にボウズだ。

ヘアセットに毎朝彼がやたらと時間をかけるのは、髪がある喜びを噛み締めているからだろうか…

プッと吹き出してから、
慌ててそれを投げ出した。

ハア……
そのまま、背中からベッドにたおれこんで、モゾモゾとフトンにくるまった。

すると、不思議に気分が安らいで、スゥッと落ち着いてゆく。


電気を切り、少し早いが寝ることにした。

無理矢理閉じた瞼の裏には、勝手にほんの少し先の未来が浮かぶ。

今日も、真夜中に帰ってくるであろう彼。

いかに強かに飲んでいたとして、私が居ないことにはさすがに気づくだろう。

私に何度も電話を掛けるだろうか?

“トーコ” って何度も名を呼びながら探すだろうか?

件の彼女との逢引も、
明日の大事な接待さえも
キャンセルしてくれるだろうか?
 

…変なの。
口の端に自嘲の笑みが溢れた。

彼の巣から逃げ出してきたハズなのに、そんなことを期待しているなんて。

今だって
眠りかけの脳味噌は、この部屋に残る彼の微かな痕跡に、まるで彼に抱かれているみたいに安心し始めている。


私って本当、バカみたい__
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