夫の教えるA~Z
「………」

私が黙り込んでしまうと、薄暗い部屋は再び静寂に包まれた。

彼も普段の雄弁を封じ、私の言葉を待っている。

とうとう我慢比べに耐えきれなくなった私が、ポツリと彼に尋ねた。

「接待は…よかったの?」
「…うん、それどころじゃなかったから…」

よくみると彼は、一昨日の朝出掛けた時と全く同じ服装をしている。


「……石原部長、覚えてる?ホラ、例のさ…
…」

忘れる筈もない。つい先日、ナイフを振り回し、彼のお腹に風穴を開けた薄毛のオジサンだ(※Nの話)。

意外にも秋人さんはあの後、彼の罪を問わなかった。
それどころか、
事情聴取にきた警察にはマジックの練習を失敗したのだと言って庇い、本社にも報告せずに部長の地位へ据え置いた。

彼の性格なら、3倍返しは必至だろうと思っていた私には意外だった。

「よっぽど取り乱してたんだろうな、俺は。
たまたま相談に来た石原に、このことを喋りたてたんだ。
そしたら……」

『何と!奥さまが行方不明⁉』
『…ああ……どうしよう、俺は…』

『わかりました……
今夜の接待、この石原めにお任せを。

なぁに、こう見えても私、四国勤務の時代には “アワおどりのイッシー” と言われておりまして…
あ、別に下ネタじゃないですよ⁉』

……………。
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