クールな准教授の焦れ恋講義
「矢野さん、今日は本当にありがとうございました」

「俺のほうこそ楽しかったよ! よかったらまたご飯行こう」

 はい、と頷きそうになって何故か私はそう返事が出来なかった。店を出ると金曜日ということもあっていつもより人通りも激しく、並んでいるお店も賑っている。

「あ、そういうえば早川さん欲しいものある?」

「え?」

「ほら今日誕生日なんでしょ? 誕生日を祝うって名目で会っておいて何も用意できなかったから。この店まだ開いてるし、何か買ってあげるよ」

 あんまり高いものは買えないけど、なんて付け足されて私は焦った。

「そんな。ご飯、ご馳走になっちゃいましたし、こうして祝っていただけただけで十分です」

「いいから、いいから。お兄さんに欲しいもの言ってごらんよ」

「でも」
 
 茶目っ気たっぷりに言われて私は返事に困った。矢野さんは先生の言う通り本当にいい人だ。優しくて真面目で話も面白くて。

 先生みたいに煙草は吸わないし、最近読んだ本の感想を長々と話してくることもない。私を子供扱いすることもない。先生みたいに――

「早川さん?」

 不思議そうにこちらを見てくる矢野さんと視線が合った。

「ごめん、なさい」 

 静かな謝罪の言葉が口から出る。金曜日の夜はどこかみんな浮き足だって楽しそうだ。

 私だってすごく楽しかった。料理も凄く美味しくてお店も素敵で矢野さんとの話もすごく楽しかった。こんな風に誕生日をお祝いしてもらえるなんて幸せ者だ。それなのに、こんなにも苦しい。

「私、どうしても欲しいものがあるんです。でも、それは――」

 続きを声にすることはなく言葉を飲み込む。改めてお礼を告げて矢野さんに頭を下げると、私はその場を駆け出した。
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