一寸の喪女にも五分の愛嬌を
 成瀬はもう一度大きく呼吸を整えるように深呼吸し、それから「ひどい」と呟き、私の肩に手を置いた。

「そんな可愛いことを言うなんて、先輩、ひどいですよ。我慢できそうにない」

 言いながら成瀬がグッと私を押し倒し、顔を寄せ唇を重ねようとするから、慌てて押しとどめる。

「ちょっと待ってよ! まだ付き合ってもいないのに、そういうことは――」

「俺、さっき言ったよね? 先輩の返事は聞かないって。もう先輩は俺のものですから」

 私を見下ろしてくる成瀬の眼差しは、切羽詰まったような鋭さと真剣さを含み、彼の言葉が軽いものではないと知らしめる。

 心臓が限界まで達している。これ以上ドキドキしようがないほど早鐘を打っている。

 成瀬どころか隣の部屋にまでこの心音が聞こえてしまいそうで、ムダなあがきだとわかっているのに、胸をギュッと押さえる。

「成瀬……」

「先輩、俺のことを受け入れてくれるんなら、春人って呼んでよ……」

 わずかに揺れた声に、少しだけ成瀬の感情が見えた気がする。


 それは、多分――不安。


 私の思い上がりでなければ、成瀬は今、不安を感じているように思える。

 強引に私を押し倒しながら、そのくせそれ以上に進む前に返事を欲しがっている。
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