甘く、切なく、透明な
思えばあの瞬間に、沙耶子の心は一気に高みへと駆け上がったのだった。けれど、それと同時にそこからして二人はすれ違っていたのだった。
「でも、ケビン38さんが女の子だとは思わなかったな。しかも、僕よりずっと年下の」
怒ってないですか、と聞いた沙耶子に、彼は少し照れ笑いをしながらそう答えた。
「実は、僕、ケビンさんのこと、どこかの大学の教授かと思ってたんだよ。だって、映画のことやけに詳しいし、メールの文章とか、すごく丁寧だったから。だからこれは絶対、おっさんだぞって」
くすくすと笑う彼の顔は少年のようで、ゆっくりと話す声は海の底から響いてくるみたいに深くて、沙耶子はすぐに彼に恋をした。
「38って、沙耶子のサヤ、ってことかあ。ああ、騙された。だって、僕は苗字をただローマ字にしただけなのに。…別におっさんのほうが良かったってわけじゃないよ? だけど、年下の君に騙されたってことが僕は悔しいの」
奥島がフィルムズのオフ会に参加しない理由は、単純に仕事が忙しいからというだけだった。
沙耶子も自分の気の回し過ぎに笑って――用心のために男を名乗ったことや、奥島を女性と勘繰ったこと――それから、二人はこれまでの知り合えなかった時間を埋めるかのように、夢中で話をした。
映画のこと、仕事のこと、大学のこと。それから奥島は一年前に別れた彼女のこと、誰にも言ったことは無いけれど、実は高校の頃に同級生の男の子を好きになったこと――だから沙耶子は奥島のことを「女性」っぽいと思ったのかもしれなかった――、恋に性別は関係ないんじゃないかってこと、人を好きになるということ。
奥島と沙耶子はお互いのことを語り尽くして、それでもまだ話足りずに、帰り際にはもう次の約束をしていた。
「きっと僕たちは、運命の糸みたいなので繋がってるんだよ」
何度目かの逢瀬のときに、奥島はしみじみとそう言った。
「僕と沙耶ちゃんの心は、生まれる前は一つだったんじゃないかって思うくらい。僕が感じるように沙耶ちゃんも感じてるし、沙耶ちゃんが感じるように僕も感じてるんだなって。それって、繋がってるってことだと思うんだ」
背の高い彼は、ポケットに手を入れ、前かがみになって沙耶子と目線を合わせた。らくだみたいにぼさぼさのまつげのせいで、彼の顔はもっと優しく見えた。
「糸、そう――何色だろう、赤い糸は恋人同士の糸だから…」
そう言って奥島は沙耶子との間に、その糸を見透かすように目を細めた。
「光を弾く糸、かな。――知ってる? 光が当たらなくちゃ、色は見えないんだよ。だから、僕らを繋ぐ糸の色は、きっと誰にも見えない。だから誰も知らない、名前のない色をしてる」
こんなに深く繋がっているのに、恋人じゃないのなら一体何なのだろう。
沙耶子の心は振られたように悲しくなる。けれど、その悲しさなんてすぐに浄化してしまうほど、奥島の言葉はきれいだった。愛じゃなくても、奥島の心を沙耶子が占めていられるなら、彼女にとってそれは愛だった。
例えば、地上からは青い空しか見えずに、その空の上の宇宙の存在などわからないように、愛以上の特別な感情を、あの頃の沙耶子には理解できなかったのだ。
「沙耶ちゃんは僕の特別な人だから、聞いてほしいんだ」
だから奥島がそう言った時、沙耶子は何の警戒もなく顔を上げた。
「僕、徹くんのことが好きなんだ」
「でも、ケビン38さんが女の子だとは思わなかったな。しかも、僕よりずっと年下の」
怒ってないですか、と聞いた沙耶子に、彼は少し照れ笑いをしながらそう答えた。
「実は、僕、ケビンさんのこと、どこかの大学の教授かと思ってたんだよ。だって、映画のことやけに詳しいし、メールの文章とか、すごく丁寧だったから。だからこれは絶対、おっさんだぞって」
くすくすと笑う彼の顔は少年のようで、ゆっくりと話す声は海の底から響いてくるみたいに深くて、沙耶子はすぐに彼に恋をした。
「38って、沙耶子のサヤ、ってことかあ。ああ、騙された。だって、僕は苗字をただローマ字にしただけなのに。…別におっさんのほうが良かったってわけじゃないよ? だけど、年下の君に騙されたってことが僕は悔しいの」
奥島がフィルムズのオフ会に参加しない理由は、単純に仕事が忙しいからというだけだった。
沙耶子も自分の気の回し過ぎに笑って――用心のために男を名乗ったことや、奥島を女性と勘繰ったこと――それから、二人はこれまでの知り合えなかった時間を埋めるかのように、夢中で話をした。
映画のこと、仕事のこと、大学のこと。それから奥島は一年前に別れた彼女のこと、誰にも言ったことは無いけれど、実は高校の頃に同級生の男の子を好きになったこと――だから沙耶子は奥島のことを「女性」っぽいと思ったのかもしれなかった――、恋に性別は関係ないんじゃないかってこと、人を好きになるということ。
奥島と沙耶子はお互いのことを語り尽くして、それでもまだ話足りずに、帰り際にはもう次の約束をしていた。
「きっと僕たちは、運命の糸みたいなので繋がってるんだよ」
何度目かの逢瀬のときに、奥島はしみじみとそう言った。
「僕と沙耶ちゃんの心は、生まれる前は一つだったんじゃないかって思うくらい。僕が感じるように沙耶ちゃんも感じてるし、沙耶ちゃんが感じるように僕も感じてるんだなって。それって、繋がってるってことだと思うんだ」
背の高い彼は、ポケットに手を入れ、前かがみになって沙耶子と目線を合わせた。らくだみたいにぼさぼさのまつげのせいで、彼の顔はもっと優しく見えた。
「糸、そう――何色だろう、赤い糸は恋人同士の糸だから…」
そう言って奥島は沙耶子との間に、その糸を見透かすように目を細めた。
「光を弾く糸、かな。――知ってる? 光が当たらなくちゃ、色は見えないんだよ。だから、僕らを繋ぐ糸の色は、きっと誰にも見えない。だから誰も知らない、名前のない色をしてる」
こんなに深く繋がっているのに、恋人じゃないのなら一体何なのだろう。
沙耶子の心は振られたように悲しくなる。けれど、その悲しさなんてすぐに浄化してしまうほど、奥島の言葉はきれいだった。愛じゃなくても、奥島の心を沙耶子が占めていられるなら、彼女にとってそれは愛だった。
例えば、地上からは青い空しか見えずに、その空の上の宇宙の存在などわからないように、愛以上の特別な感情を、あの頃の沙耶子には理解できなかったのだ。
「沙耶ちゃんは僕の特別な人だから、聞いてほしいんだ」
だから奥島がそう言った時、沙耶子は何の警戒もなく顔を上げた。
「僕、徹くんのことが好きなんだ」