さよなら、もう一人のわたし
 書庫みたいなものだろうか。
 中に入ると、本棚を見渡した。

 その中に藤井久明の名前を見つける。
 その本は探偵ものの小説だ。
 わたしがそれを手に取ると、尚志さんは苦笑いを浮かべた。

「親父の本? ほとんどミステリーばっかりだけど、ミステリーは好き?」
「好きです。でも恋愛小説を書いているのかと思ってました」
「映画のことを聞いたからかな」

 わたしは頷いた。

「あの映画は滅多に恋愛小説を書かない父親が書いたから話題になったんだろうな。いつもは人が殺される話ばかりだからね」
「久明って本名なんですか?」
「いいや、本名は尚明。読みにくいから久にしたって言ってた。ちなみは藤井は適当らしいよ」
「尚志さんの名前はお父さんの名前から一文字取っているんですね」

「そういうこと」
「この本を借りてもいいですか?」
「いいよ。本を入れる袋を持ってくるよ」

 彼はそう言い残すと部屋を出て行く。

 わたしの知らない尚志さんの過去を親であろう彼は知っているのだろう。
 その本の発行日を見ると二十三年前だった。わたしも尚志さんも生まれてはいなかった。

 それどころか、わたしのお母さんがお父さんに出会う前に書かれた話なのかもしれない。そう思うと不思議な気分になっていく。

 尚志さんが黒の紙袋を持って部屋の中に入ってきた。
 わたしはその紙袋を受け取ると、本を五冊ほど入れた。

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