奏 〜Fantasia for piano〜
精一杯に明るく話しかけても、「うん」とか「そうだね」としか返ってこないのが悲しい。
伏し目がちな整った横顔を見つめ、私だけバカみたいにペラペラと話しかけているのも悲しい。
私を拒否したいような空気を感じても、昔のように仲良くしたいという希望は捨てられなかった。
「奏のおばあちゃんの家の六角形のピアノ部屋、まだあるの? 奏はあそこで毎日ピアノを弾いていたよね。
そうだ、あれ覚えてる? 私がバッタを捕まえて持っていったら、奏はーー」
昔を覚えていないから、こんなに温度差があるのだろう。
そう思い、幼い日のエピソードを話してあげようとしたら、奏はピタリと歩みを止めた。
「綾」
昔と同じように呼んでくれたことが嬉しかった。
期待を込めて、笑顔で「なに?」と返事をしたのに、返ってきたのは溜息交じりのこんな言葉。
「悪いけど、綾のことはよく覚えてないんだ。
俺にとっては、初めましてに近い感覚なんだよ」
やっぱり覚えてないのかと落胆したけど、それは仕方ない。
普通は五歳のときの記憶なんて、あやふやだろう。
私にとっては奏が救世主だったから……鮮明に記憶に残っているけれど。