奏 〜Fantasia for piano〜
「お母さん、あのね。香月奏くんのこと、覚えてる?」
すぐには思い当たらなかったようで、箸を止めて首を捻るお母さん。
数秒後にやっと思い出してくれて、ポンと手の平を打った。
「ああ、田舎のおばあちゃんの、ご近所さんの香月さんね。
お母さんは奏くんに会ったことないからよく知らないけど、ピアノで外国に行ったんでしょ?
今頃どうしてるんだろうね。おばあちゃんもいないし、分からないよね」
田舎のおばあちゃんは、二年前に八十二歳で亡くなってしまった。
おじいちゃんは記憶にないくらい小さな頃に他界しているし、あの田舎町にもう家はない。
ここ二、三年、田舎の景色も見ていない。
青々とした畑と里山と、怖いくらいに真っ暗な夜。
大きな満月と、たどり着いた六角形のピアノ部屋……。
「奏くんがどうかしたの?」と聞かれて、ハッと我に返る。
「ううん、なんでもない。ちょっと思い出しただけで……」と言葉を濁して、リビングのドアを出た。