奏 〜Fantasia for piano〜
今日何度目かの溜息をついた私は、鍵を握りしめたまま、ベッドに入った。
私だけが覚えていて、奏が忘れてしまった想い出を、まぶたの裏に描き出す。
大きなグランドピアノに向かう、小さな少年。
奏は、天才だった。
天から与えられたその才能は、花開くことなく散ってしまったのか。
幼いあのときに聴いた、あの曲を、どうかもう一度。
奏……。
意識が薄らいで、夢の世界へ落ちていく。
五歳の私が歩いていた。
深い森の中、救いを求めて泣きながらーー。
あれは、七月上旬のことだったと記憶している。
お母さんはお腹が膨らんで、秋になったら私に妹ができると言われていた。
お姉ちゃんになれることが嬉しくて、妹が生まれる日をすごく楽しみにしていたときに、お父さんに言われた。
『綾、お母さんが入院することになったんだ。
赤ちゃんがね、予定より早く生まれてしまいそうなんだよ』
秋まで待たず、夏のうちにお姉ちゃんになれるのかと喜んだら、お父さんは困った顔をした。
『早く生まれると、赤ちゃんが小さすぎて危ないんだよ。もう少し、お腹の中にいてほしいんだ。
だからね、お母さんが入院している間、綾は田舎のおばあちゃんの家で暮らしてね。いい子にするんだよ』