愛しすぎて、寂しくて
タクミ
タクミとはずっと昼の担当と夜の担当ということもあって滅多に顔を合わせなかった。

この店がオープンして2年後、アタシは成人して夜も働ける事になった。

忙しいときには夜も手伝いに行って、
タクミとは何度か話をするうちに仲良くなった。

タクミは大学を卒業する年になって内定を貰っても
このままここに残りたいと言うくらいこの店が好きだった。

タクミはマスターの親しい人の弟で
中学生の頃からマスターに憧れていて、
この店にはマスターの紹介で入ったそうだ。

マスターが好きなアタシによくマスターの話をしてくれた。

「ああいう男になりたい。」

といつも言っていて、店を辞めたくないのはマスターに会えなくなるからと真顔で言うくらいマスターに心酔していた。

そんなタクミが辞める半年位前の事だった。

「ジュン、俺たち付き合わない?
どうせ辞めるし、店内恋愛じゃ無くなるしさ。
都内じゃ遠距離でも無いから逢おうと思えばいつでも逢えるし…」

正直、タクミはいつも言うことがどこかぶっ飛んでて
どこまでが本気でどこまでが冗談なのかわからなかったし、
何となくチャラくてマスターに憧れてるわりにはマスターとは正反対のタイプだった。

「無理。タクミは全然アタシのタイプじゃない。
それにさ、彼女居たよね?」

タクミにはレイちゃんと言う美脚の彼女がいた。

レイちゃんはいつもその脚を自慢するかのようにミニスカートでお店にやってくる。

「レイはさ、卒業したら大阪行くんだって。
だから俺たち別れることにしたんだ。」

「大阪行くから別れるの?」

「遠距離とか面倒くさいし…絶対上手く行かないと思わない?」

「タクミは寂しいの我慢出来ないもんね。
タクミさぁ、浮気してるでしょ?」

タクミには最近、レイちゃんの他に遊んでる女の子が何人かいたようだった。

この店のお客さんや大学の友達など
レイちゃん以外の女の子がタクミを訪ねてやって来たり、
タクミと遊びに行ったという女の子の話も聞いたりした。

「レイだって我慢出来ないよ。
アイツはすげえ肉食女だもん。」

その言い方に何だか棘があった。

「タクミ、何かあったの?」

いつもより少し毒舌なタクミの態度が気になった。

「ジュン、このあとさぁ飲みに行こうよ。
それとも踊りに行く?
いや、歌いに行こうか?

何ならホテル行っちゃおうか?」

マスターの目を盗んでタクミはアタシをしつこく誘った。
きっと今は一人になりたくないんだろうと思った。

「そんなこと言ってたらクビになるよ?」

「どうせもうすぐ辞めるんだし…関係ないでしょ。」

「ねぇ、ホントに何かあったでしょ?」

タクミは黙ったまま作った笑顔だけをアタシに見せた。

「わかった。飲みに行こう。」

アタシがそう言うとタクミは

「じゃあ後でな。」

と耳打ちしてアタシのお尻を軽く2回叩くと仕事に戻っていった。

アタシはどこか危うげなタクミの態度が気になった。

仕事が終わったあと、マスターには内緒で朝までやってる居酒屋でタクミと待ち合わせた。

「お疲れ~。」

タクミは自分のビールジョッキをアタシのグラスに当てて一気にそれを飲み干した。

「大丈夫?もっとゆっくり飲んでよ。
介抱したくない。」

そんな忠告なんか全く耳にに届いてないようだった。

「いったい何があったの?
もしかしてレイちゃんのせいなの?」

レイちゃんの名前が出ただけで明らかにタクミは態度を変えた。

「ジュンはさ、年上の男と付き合ったことある?」

「うん。」

「妻子持ちは?」

「何?レイちゃん妻子持ちと付き合ってるの?
てかタクミ、二股されてんの?」

「ジュンは?妻子持ちと寝たことある?」

「…」

「あるんだな?どうしてさ?
相手は奥さんも子供も居るんだぜ?
良心咎めないの?

俺、そういう女全然わかんねぇ。」

「ダメだってわかってもどうしようもない時だってあるんだよ。」

「それって理性無さすぎだろ?
だいたい人のモンだし…
しかも子供とか居るんだぜ。
家庭とか壊しちゃったら責任とれんのかよ?」

「悪いのは女だけじゃないでしょ。
家庭壊すのは相手の男に問題あるからでしょ?
大抵はそこまで行かないし、家庭壊すほど本気になる男なんてそうそう居ないよ。」

「でも居るんだよ。
家庭とか簡単に捨てちゃう無責任なヤツだって、沢山居る。
だいたい妻子持ちと簡単に寝るヤツがいなきゃ浮気になんないだろ?」

タクミの意見はかなり片寄っていた気がしたが
今はただレイちゃんを許せないんだと思った。

「ジュンはさ、その男とどうなったの?」

「どうもこうもないよ。
10回くらい食事して寝たけど…
何となく相手が嫌になってそれっきり会わなかった。

不倫てさ、未来が無いってゆうか…やっぱりどっか後ろめたいモンだよ。
レイちゃんだってそのうちきっと自分から離れてくよ。」

「別れてももうあんな女とは会わないよ。」

「タクミ…元気出してよ。
レイちゃんは居なくても女が他にも沢山居るみたいだし。
てゆーかさぁタクミだって浮気してんじゃん?

レイちゃんのこと責められないでしょ?」

「俺は誰とも寝てねーから。
それにただの浮気なら許したかもしれないけど…
妻子持ちなら話は別だろ。」

「不倫に何か恨みでもあるの?」

タクミがその重たい口を開くまで少しだけ時間がかかった。
アルコール抜きではきっと話したり出来なかっただろう。

少し悲しい顔をしてタクミは自分の抱えてる傷をアタシに見せ始めた。

「俺の母親ってのがさぁ…俺が小学3年の時に妻子持ちとダブル不倫して家族とか捨ててんの。

ある日、向こうの奥さんが乗り込んで来てさ
家の中シッチャカメッチャカになって…アイツは男と手を取って逃げちゃったわけよ。
最低だろ?
それから親父はずっと兄貴と俺を一人で育ててくれた。
再婚しないのか?って聞いたらもう結婚はうんざりだって言ってたよ。」

アタシはママの事を思い出していた。
母であることより女であることを優先した人…
アタシたちの母親はそんな人。
そしてアタシもタクミに傷を見せる。

「アタシの母親だってかなり酷いよ。

アタシは父親も知らないし、
母親はいつもとっかえひっかえ男連れ込んで…

アタシの担任とだってそうなっちゃって
その担任てのがまた最低野郎でね、

学校では生徒に優しい人気のある先生を演じてるくせに
アタシにだけ悪魔みたいな男で
母親と寝てるのがアタシにバレて
言いふらされたらまずいと思ったのか…

母親の留守中にアタシそいつにやられちゃってさ
それが母親に見つかった時、
なんと母親は担任じゃなくてアタシを殴ったの。

元はと言えばさ、母親のせいでアタシはあんな目に遭ったのに…
ねぇ、こんな母親ってどう思う?
タクミんちの親に負けてないでしょ?」

アタシはその話をこっちに来て誰にもしたことが無かった。
それなのに涙を流しながらタクミに話していた。

あの時、どうしてそんな気持ちになったのか?
お互い母親というトラウマを抱えてたから妙に心を許せたのかもしれない。

「ジュン、キスしていい?」

アタシたちは当然のようにテーブルを挟んでキスをした。

そのまま流れるようにその夜をタクミと過ごした。

タクミの身体は思ってたよりずっと逞しくて
ずっと優しかった。

朝起きるとタクミはアタシを抱きしめて言った。

「オーナーにもマスターにも俺が辞めるまでバレなきゃいい。」

アタシは戸惑っていた。
タクミはこのままアタシとの関係を続けるつもりだ。

アタシたちの行為が同情と共感と衝動以外何も無かった事をタクミもきっとわかってる。

「レイちゃんと向き合ってみなよ。
そしたら何かタクミの中でも変われるかもしれない。」

「ジュンは母親の事を許せる?」

「ずっと許したいって思ってるよ。
でも今は勝手に黙って家出たアタシを向こうが許さないかも。

アタシの母親の話は今はどうでもいいよ。
それよりレイちゃんの…」

「聞いてもいい?昨日の話だけどその担任とはいくつの時?」

「中学2年生。」

「思ったよりずっとジュンの人生は壮絶だったんだなぁ。」

そう言うとタクミはアタシを抱きしめた。

「だからアタシの話はどうでもいいよ。
今はレイちゃんの…」

レイちゃんの話をしようとするアタシの口をタクミはキスで遮った。
タクミの腕の中は思ったよりずっと居心地がよくて温かかった。

結局オーナーにもマスターにも内緒で
アタシたちはそのあともその関係を継続した。

タクミはいつも言っていた。

「俺は結婚とか出来るかなぁ。
ってゆうかしないほうがいいかも。
あの女の血が流れてるから家庭とか守れる自信とか無いしなぁ。」

アタシもそんなことを度々考える時がある。
結婚というより母親になるのが怖かった。
アタシがママみたいになってしまう気がして…

タクミとは恋愛とは違うけど恋愛してる人たちと同じようにキスをして抱きしめあってお互いの心の傷を舐めあった。

その時間は妙な連帯感があってアタシたちはなかなか離れようとしなかった。

そして3月が来て…タクミは予定通り店を辞めた。

レイちゃんは結局タクミとは話し合わないまま
大阪に単身赴任するというその男について行ってしまった。

タクミは都内の出版社に就職してこの街を離れ
アタシたちが会う機会はほとんど無くなった。

最初のうちは毎日話していた電話も時と共に少なくなった。
日帰りでも十分に会える距離なのに
お互いに逢おうとは言わなかった。

店内恋愛禁止…その重要さを改めて知った。

アタシは友達であったタクミを失い、
タクミはアタシのせいでこの店にさえ来られなくなってしまうだろう。

アタシたちは結局罰を受けることになった。

そしてタクミが就職して初めての夏、
久しぶりに電話がかかってきた。

受話器から懐かしい声がした。

「ジュン…ずっと会いにいけなくてごめんな。」

タクミはきっと向こうでもう既に新しい恋をしてるんだろう。

タクミは人1倍寂しがり屋だから。

「アタシたちはもう離れるべきだよね?」

タクミは返事をしなかった。

「俺はちゃんとジュンのこと好きだったよ。
ジュンは違ったかも知れないけど…」

サヨナラも電話で言うくらいアタシたちの間にはやっぱり何も無いと思った。

だけどもう会わないと思うと何だかすごく胸が痛くて
アタシの瞳からポロポロと涙が溢れ出た。

その時、アタシは初めてタクミの存在の大切さを知った。

「今さらだけど…アタシもちゃんと好きだったと思う。」

「店、辞めんなよ。
またそのうちきっと逢いに行くから。

それと俺、思ったんだけど…ジュンの母親はそれでもジュンを捨てないだけマシだったと思うよ。

だから…早くその傷は塞げよ。
例え傷跡が残っても…ジュンを見捨てずに育ててくれたんだろ?」

「タクミ…ありがとね。
今まで誰にも言えなくてずっと悩んで苦しかったけど…
アンタのおかげですごく楽になった。
本当にありがとう。」

タクミとは結局それきりだった。

アタシたちは傷を塞がないまま会ったら
お互い愛する相手が別に居たとしても
きっとまた抱き合って傷を舐めあってしまう気がした。

タクミもアタシもそれをしたくなかった。
それはタクミにとって最も許せないことだったから。

2年後、タクミから葉書が届いた。

~結婚しました~

とその葉書には書かれていて、
既に奥さんのお腹の中にはタクミの子供がいて…
タクミは父親になるようだ。

アタシは心からタクミの結婚を喜んだ。

タクミはきっと1つ壁を乗り越えたんだと思った。
だからアタシも前を向こう。

アタシたちはまたいつかきっと逢える。

その夜、ママに電話をかけた。
5年ぶりのその声は何だかやけに温かくてアタシは切なくなった。

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