伯爵と雇われ花嫁の偽装婚約
「ちょ……ちょっと、ライル様……!」

急に迫ってきたライルの行動に慌てて、クレアは逃れようと、身をよじった。

「……近いです……!」

「嬉しいんだ」

「え……?」

「俺しかいない、と言ってくれた」

クレアはライルの方に顔を向けた。ライルは決まりが悪そうにクレアから視線をそらすと、目を伏せた。

……え、何、その顔……もしかして、照れてるの……?

初めて見る表情に驚いて、じっと見入ってしまう。

「君から、初めてそんな言葉を聞けて嬉しい」

「……あ、えっと、それは……」

自分の発言を思い返して、クレアは恥ずかしくなった。

「……一緒に来て下さる男性は、ライル様しかいないという意味で--あ、あの、ちょっとライル様!」

クレアの言葉を聞き流すようにして、ライルが顔を近付けてきたので、クレアはぐいと彼の胸を手で押し返した。

「クレアが可愛くて、自分を抑えられない」

「そんな…… 恥ずかしいです!」

「キスならもう何回もしてる」

「それは、いつも二人きりの時のことでしょう! ここ、公共の場ですよ……!」

「誰も見てないよ」

「二階席や三階席に残ってるお客さんからは、見られます……!」

「……」

クレアが抵抗を見せると、ライルはようやく彼女の肩から手を離した。

「……分かった」と呟くライルに、クレアはホッと胸を撫で下ろす。

「そろそろ、帰ろうか」

ライルは立ち上がり、手を差し出した。
「はい」とクレアは返事をすると同時に、ライルに手を引かれ、椅子から腰を上げる。

いつもの穏やかなライルの様子に、クレアはすっかり安心した。



だが。

その穏やかな表情の裏で、ああ、早く二人きりになりたい、とライルが考えていることなど、クレアは知る由も無かった。

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