伯爵と雇われ花嫁の偽装婚約
軽く咳払いをすると、クレアは続けた。

「もうすでに、私のことはお調べになっていると思います。……私は一年前まで、庶民の娘でした。母は貴族の出ではありません。今も母の店を私が営んでいます。労働階級の、しかも貴族の教養も知識も無い私は、ライル様には相応しいとは思えません」

「……」

「巻き込んでしまった挙げ句、実家にお金まで出して頂いて……何とお詫びしていいか、分かりません」

「つまり……君は、この話を無かったことにしたいんだね?」

沈黙していたライルがようやく口を開いた。

それは、穏やかだが少し寂しさが入り交じったような口調だった。

それが分かるから、余計に辛い。クレアはうつむきながら、「はい」と小さく返す。

こんなにも優しい彼を傷付けてしまっただろうか。クレアの胸が痛む。

でも、引き返すなら今しかない。何より、自分のような女を妻にして、後々ライルが陰口を叩かれるなんて、嫌だ。

今さら何を言う、と怒られるだろうか。でも、事の発端は自分の発言のせいだ。どんなに怒鳴られ罵られても甘んじて受けよう。

クレアはスカートの裾をぎゅっと握りしめた。

すると、返ってきたのは思いがけない言葉だった。



「……そうか、俺も少し急ぎすぎたよ。君を困らせてすまなかった」

「えっ……?」

クレアは顔を上げた。ライルはソファーの背もたれに体を預け、穏やかに微笑んでいる。

「怒ってらっしゃらないんですか……?」

「怒る? なぜ?」


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