愛と音の花束を
団長がそっと部屋に入ってきた。
30〜40代男性。パーカッション担当。
私が会釈すると、手を軽く挙げて挨拶を返してくれた。
椎名氏を見ながら私の方に近づいてきて、私の隣の椅子に座り、私の耳に顔を近づけ、

「なかなかいい感じじゃない?」

小声で話しかけてきた。

その途端。ポジション移動で派手に音が外れた。

「ありゃりゃ」と団長が小声でつぶやく。

ポジション移動はヴァイオリンの壁のひとつ。

弦楽器は、弦を押さえる場所を駒寄りにすると音が高くなっていくのだけど、4本の指では限界があるので、腕を動かし、手の平ごと移動させる。
印はない。勘。
身体の感覚で覚えるしかない。

彼は外した箇所をゆっくり弾き始めた。
着実に。
つまづいたら基礎から。

練習の仕方も、ちゃんと教わってるらしい。


「遅くなってすみません」

コンマスが姿を見せた。

椎名氏は楽器を下ろし、キラキラした目でコンマスを見つめる。

好きな芸能人と会えたようなリアクションだ。

コンマスは机に楽器と荷物を置くと、椎名氏のもとへ向かった。

「ようこそ。コンマスの三神です」

「存じ上げてます! その、ステージ上のお姿ですけど!」

椎名氏のテンション高い返答に、コンマスは苦笑した。
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