オレンジの雫
イタリア語でそう言った彼女に、彼は、実に申し訳なさそうな顔をして、言語をイタリア語に換えると、少し遠慮がちに言うのである。

「失礼しましたマドモアゼル、母が、フランス人なもので…つい」

「どうりで、フランス語が上手なはずだわ…」

きょとんと目を丸くすると、セシーリアは、細い肩で大きく息を吐きながら、その唇で、ニッコリと微笑して見せるのだった。

「ねぇ…貴方、雨の中で、一体何をしていたの?」

その言葉に、彼は、どこか安堵したような顔つきになって、長い指先をセシーリアに差し伸ばし、その綺麗な頬に張り付いたライトブラウンの髪を、そっと払い除けたのである。

「神に、感謝を捧げていました」

そのごく自然な仕草に、一瞬、ドキリとしながらも、セシーリアは、彼の言葉に不思議そうに小首を傾げたのである。

「神に…感謝?」

「僕の国では、滅多に雨が降りません。雨は、地に恵みを与えてくれます、だから、恵みの雨を降らせてくれた神に、感謝を捧げていました」

純粋で綺麗なその黒い瞳が、濡れた前髪の下でくったくなく微笑んだ。

セシーリアは、大きく鳴った鼓動を隠すように、静かな口調で彼に聞くのである。

「私…セシーリア…貴方、名前は?」

「ジェレミヤといいます、マドモアゼル」

「ジェレミヤ…あなたは、何処の国から来たの?」

「モロッコです」

「ねぇ…もしよかったら、私に貴方の国の話を聞かせて。
イタリアから出た事がないから、知りたいわ!」

セシーリアは、その大きな水色の瞳をきらきらと輝かせながら、彼の精悍な顔を見つめたのだった。

ジェレミヤは、戸惑ったように瞳をしばたかせ、なにやら、考え込むように虚空を仰ぐと、ふと、唇だけで微笑んで小さく頷いたのである。

「わかりました、マドモアゼル・・・貴女がそう仰るなら、喜んで」

あれだけ酷かった雨が、上がり始め雲の狭間にるり色の空が見え始めた頃、芳しいオレンジの匂いが、地中海の風にさらわれていた…
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