クールな御曹司と愛され政略結婚
灯、言ってよ。

灯はもう、私のものだって言ってよ。

私じゃ言えないもん。

言ってよ。


だけど夜の商店街に訪れたのは沈黙だけで、やがてその中を、姉のヒールの音が遠ざかっていった。

灯が「帰ろう」とつぶやいたのは、少したってからだった。



 * * *



「えっ、帰っちゃったの?」

「ええ、早めに明日に備えたいって。唯ちゃん、一緒じゃなかったのね」



翌朝、ランチをみんなでどうかという母の言伝を持って灯の家を訪ねた私は、灯がもう実家を出てしまったと聞いて、驚いた。

私もてっきり、一緒に戻るものだと思っていたのに。



「慌ただしい子ねえ」

「長く休んじゃったから、仕事してるのかも。私も早めに帰ろうかな」

「じゃあこれが唯ちゃんとの最後のランチかしら。おやつの時間までいられるなら、なにか焼くわ」

「いるいる」



やったあ、とはしゃいでみせたものの、私は戸惑っていた。


灯、どうしたの?

私と顔を合わせたくない理由があるの?


心当たりなんて、ゆうべのことしかない。

でも灯が、あんな姉のおふざけくらいで、私を避けたりするだろうか。

どちらかというと、私のほうが、気まずくて情けなくて、会わす顔がないのに。


まさか、またふたりで会っているなんてこと、ないよね…。


ふたつの家の間に走る、細い道路。

日焼けしたくなくて走った行きの元気はどこへやら、私はおぼつかない足取りで、とぼとぼと実家を目指した。



 * * *



「ゼロさんの案件、増えましたよ、確かに」



編集スタジオのオペレーターさんが、サーバーからコーヒーを注いで言う。

「やっぱり」と応えるのは、先日ロケを一緒にした監督だ。

私たちと同年代で、彼の作品をテレビで見ない日はないというくらいの売れっ子になってきている。
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