【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
そしてこちらは遡ること数時間前の悠久の城――
 
 柔らかな日差しを受けた若草たちが足元に広がっている緑のクッションの上にアオイは愛らしいワンピースを纏った姿で座っていた。
 視線の先ではすっかり元気になったラビットが楽し気に飛び跳ね、鼻先に触れた草を美味しそうに咀嚼している。

「はい、アオイ姫」

 透き通るような優しい声が頭上から降ってくる。
 顔を上げたアオイは顔を見ずともその声の主が誰かわかって笑顔を向けた。


「いまは花冠だけど、次は君に合う髪飾りを贈るよ」


『心を込めて作った。貴方の髪に似合う真っ白な花で』

 
 ふたつの声が重なり、アオイが疑問に思うより早く目の前の光景に霞がかかる。

 ――逆光のなかで微笑む髪を高く結った青年が私の頭に花冠を載せると、彼の美しい指先はやがて頬を滑り親指がかすかに唇に触れてから名残惜しそうに離れていく。

『ありがとうございます』

 彼の熱がわずかに残る唇を開いて私は花冠の礼を述べる。
 自分の声よりすこし年上な女性の声が喉から流れ出た。
 その言葉に小さく頷いた彼は隣に腰を下ろすと布擦れの音が心地よく耳を掠める。
 彼の脇に置かれた長く黒いものの正体を私は知っている。遠い昔、その内に秘められた鋭い刃と力強い彼の腕に助けられたことを今でも忘れない。

『こうしてゆっくり肩を並べられるのも、仙水たちが不在のお陰だな』

 片膝を立て、その上に肘をついた彼は心地よく通り抜ける風に身を委ねている。
 いつもより打ち砕けた口調の今日の彼。機嫌が良いのか上がった口角はそのままだ。
 
『……俺はずっと自分の気持ちに答えを見出せずにいる』

 独り言のように呟かされた言葉に私は彼と視線を合わせようと顔を上げたが、彼は遠くを見る様に目を細めて続けた。

『運命に導かれるように再び出会い、こうして貴方の隣にいることを嬉しく思いながら……誰のものにもならず、少女のままの貴方の傍にいることはまるで甘美な拷問なんだ』

 すこし困ったように眉を下げながら告げた彼は自嘲気味に顔をこちらへ向けて続ける。

『心に決めたひとがいる?』

『……』

 黙った私はどんな顔をしているのだろう。
 愛を告げる目の前の彼に私はどんな気持ちを抱いているのだろう……?

『そういうわけでは……』

 私がなにか隠していると咄嗟に感じたらしい勘の鋭い彼は、とある人物の名を口にした。

『仙水?』

『……私は皆を愛しています。それではいけませんか?』

 これが私の逃げ口上なのかもしれない。
 しかし、これが嘘ではないという誠の心からのものだと自覚しているものの……私はまた別のことを考えていた。

『貴方はすこし変わったね。
昔の君はもっと純粋で無垢で……見た目の若さに似つかわしくない落ち着きはいまも同じだけど、前の君はひとの気持ちに寄り添っている感じがあった。九条に連れていかれるときも俺の傍に居たいと言い返してくれていたよね』

 ”貴方”と”君”とで分ける表現をした彼が、いかに昔の自分を好ましく思ってくれていたか伝わってくる。

『そんなときもありましたね。……いまは?』

 昔話に私の頬も緩んだが、そんなに変わってしまったのかと自分で驚いた私は目を丸くして彼の瞳をじっと見つめた。

『いまは……心に深く立ち入られるのを拒んでいるように見える。こうして愛を告げても……どうやり過ごそうか考えているだろう?』
 
『……そうではないんです。……この国が平和になったら、私は……』

『誰かを選ぶ?』

『…………』


(……私はきっと居なくなるから……)


 言葉にできない心の内が飛び出してしまわないよう、私は心の臓の前でこぶしを強く握った――。


 ――わずか数秒の出来事だったらしい。
 アオイの意志とは無関係に流れた映像が途切れた。
 しかし、まるで誰かの体に入り込んだかのように彼の指の感触や花冠の重みもたしかに感じた。
 そして聞きなれた声と音。

「……アオイ姫?」

「……」

 花冠を載せると微笑んだアオイだったか、突如その愛らしい顔からは先ほどの表情が消え、目の前のダルドは異変に気づき声を荒げた。 

「アオイ姫!!」

「……!?」

 瞬きした先ではダルドの神秘的な瞳が真剣さを帯びて、鼻先が触れ合うほどの距離でアオイの目を覗き込んでいる。

「わんわん……?」

 ハッとしてあたりを見回すアオイに様子にダルドの心は違和感を覚えた。

「…………」

(……アオイ姫、僕が声を掛けても反応がなかった。……違う、そうじゃない……アオイ姫の目には違う誰かが居た!!)

 間近で見たアオイの瞳には紛れもなく自分ではない別の人影が映っていたのをダルドは見てしまった。  

「僕の声が聞こえる?」

「あいっ」

 ダルドの問いかけに視線を戻したアオイは屈託のない笑顔で大きく頷く。

「……いま誰かここに居た?」

 確信に迫る言葉を口にしたダルドはアオイの答えを聞くのがなぜか恐ろしかった。

「……しろい、お花……かた、な……」

 たどたどしく紡がれる言葉にダルドはドキリとして息をのんだ。

(カタナなんて言葉をなぜアオイ姫が……キュリオはアオイ姫の前でそんな話はしないはずだ……)

 そしてダルドがアオイの頂きに載せた花冠は淡いピンク色の花を基調としたカラフルなものである。

「あいがとっ」

 頭上に感じる花冠に手を添えながら、彼を安心させようと笑ってみせる。
 じっとこちらを見つめるダルドにさらに心配させないよう明るく振る舞うアオイ。
 なんでもないよと言うように、すこし離れてしまったラビットを追いかけた。

 視界からダルドの姿が見えなくなると、アオイはようやく先ほどの不思議な光景と向き合う。

(しらないひと……じゃない、きっとわたしはしってる。あのひとをしってる……)

 泣きたくなるような懐かしさに胸がきゅっと苦しくなる。

(……だれ? あなたは……だれ?)

 逆光で見えなかった彼の顔。彼の強さの象徴とも言える鋭い刃と意思の強い眼差し。
 そして、自分のせいで負わせてしまった酷い怪我。

(……けが……)

 記憶の断片が雪のように落ちてアオイの心に降り積もる。
 しかしそれは、ほんの一瞬のことで……あっという間に溶けて消えてしまった。

 まるで深い眠りのなかで見た夢のように、目が覚めたら消えてしまう儚い記憶によく似ていたのだった――。
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