キャラメルと月のクラゲ
夜も更《ふ》けて午後9時を過ぎた頃、ミオ先輩がバイト終わりに寄ってくれた。
取り分けておいた料理を並べると、
「こんなに食べられないよ」
と困った表情で笑った。
「デザートにメロンもありますよ」
そう言ったイズちゃんは二個目のメロンを食べていた。
テンションの上がっている私達を見ながらミオ先輩は作った料理をがんばって食べてくれた。
「ねえねえ、ミオ先輩。ミオ先輩はカレシいるんですか?」
打ち解けるのが早いシズクは話をミオ先輩に振った。
「私? いないよ」
「じゃあ、カレシみたいなヒトはいますか?」
「んー、いないかな」
「そっか」
シズクは何かを思いながらメロンを食べた。
「でも、ミオ先輩は美人だからオトコから言い寄られてそうですよね」
「そんなことないよ。私、マジメすぎてモテないから」
「だったら、好きなヒトはいないんですか?」
質問責めにされるミオ先輩は苦笑していた。
「いないよ。私、普通の恋愛には縁がないみたいだから———」
「じゃあ、椋木くんのことは好きですか?」
きっとシズクも気付いたであろうことに私も気付いた。
「椋木くんは、嫌いじゃないよ。………うん、そう。嫌いじゃない」
ミオ先輩は思っているよりも、したたかだ。
「はっきりしてください!」
特定のカレシはいなくても、それに近い存在はいる。
他にも周囲に狙っている男が何人もいる。
本命もきっとその中にいる。
「椋木くんのこと、好きじゃないならそういう態度をとってください。いつまでも可能性を引き延ばしするみたいに彼の心を弄ばないで」
「オマエが言うなよ」
ぼそっとカニクリがつぶやいた。
「彼の気持ちを知っていて、いざ本命がダメになったらレンジであっためるみたいに彼をカレシにするんですか? キープしているんじゃないですか? そんなの最低です!」
ああ、最低なのは私だ。
彼のことをそう思っているのは私のほうだ。
「前にも言ったけど。椋木くんは、私のこと好きじゃないよ」
彼を都合よく利用しようと心のどこかで思ってる。
「そんなことわかってたでしょ? それとも、ただ仲よくするのはいけないこと?」
ミオ先輩は箸を置いてバッグを持って立ち上がる。
「この話はこれで終わりね。明日からはまたいつも通りに働きましょ? できるわね? 梨世ちゃん」
優しく、きつく、ミオ先輩はごちそうさまでした、と部屋を出ていった。
「怒らせちゃったね。梨世、言い過ぎ」
「………私、悪くないもん」
「あっそ。じゃあ私が謝ってくるよ」
シズクはそのまま走って出ていく。
「鹿山さんは? 謝りに行かないの?」
カニクリも、怒っているかと思った。
カニクリだけが私と同じことを思っているように思えていたから。
「………私———悪くない」
私が言ったのはミオ先輩じゃなくて、自分自身に対しての言葉だったから。
「そう。———イズちゃん、私もそろそろ帰るね」
「うん、わかった。カニクリちゃんも泊まってけばいいのに」
「私、今住んでる部屋で猫飼ってるの。内緒ね」
「うん。今度は私が泊まりに行くよ。気を付けてね」
「ありがと。バイバイ」
ソファでうつむいていた私は視界の端《はし》で玄関に向かうその背中を見ていた。
「———鹿山さん。明日ちゃんとバイトに行かないと、椋木くんに怒られるよ」
振り向かないその背中から聞こえる声は、カニクリらしくなくて優しい。
「………椋木くんは関係ないよ」
言葉がその背中に届く前にドアが閉まる。
「梨世ちゃん、最近朋弥くんのことばっかだね」
私の背中にイズちゃんが話しかける。
「そんなことないよ」
「そう? それとも他のことはイズが知らないだけかな」
「そんなことないよ。私、イズちゃんには嘘ついてないし」
という嘘をついた。
「あ、カニクリちゃんってば、おみやげのメロン忘れちゃってる」
近所のお姉さんと食べるからと言っていたカニクリの分のメロンがキッチンに置きっぱなしだった。
「月曜まで冷蔵庫に入れておけば持つかな?」
正直なところ冷蔵庫にそんなスペースがないのはイズちゃんも承知のはずだった。
「私、ちょっと行ってくる」
「はーい。後片付けはしておくね」
イズちゃんの緩くてふわふわした声が、メロンを持った私の背中に届いた。


カニクリは意外と歩くのが遅い。
「カニクリ! メロン!」
駅まではゆっくり歩いても五分。
「鹿山さん? あ、メロン忘れた」
本気を出して走らなくてもサンダルのままでも余裕で追い付いた。
「近所のお姉さんと食べるんじゃないの?」
「わざわざよかったのに。月曜に大学で渡してくれてもメロンは腐らないよ」
「だけど、メロンと一緒に講義受けたら、食べたくなるよ?」
「まあ、確かに」
少し考えてカニクリは笑った。
「でも、鹿山さんが走ってるのって似合わないよね。ヒール高いのしか履かないし」
「だって、それが女子力じゃない?」
「女子力ね。鹿山さんが言うと必要な気がする」
「必要だよ。カニクリにだって必要な時があるよ」
「あるかな?」
「あるよ。好きなヒト、いるんだよね?」
立ち止まっていた私達はまた歩き出す。
「椋木くんのこと、好き―――なんでしょ?」
「オトコとして? ―――さぁ、それはどうかな」
いつもみたいにカニクリは誤魔化《ごまか》すことはなく、ゆっくりと歩きながらその先のアスファルトを見ていた。
「確かに好きなヒトに似ているけど、それは違う気がする。………何となく、うん、そう思う」
「自分のことになると、急に自信がなくなるのね」
「だから、心理学なんてやっていられるんだろうね。一番知りたいのは、自分の心なんだろうから」
「ヒトの心はわからないって、言ってたね」
「うん、わからない。客観的になら理解できることも、好きなヒトのことは何一つわからないんだ」
「そうだね。———片思いってさ、傍《はた》から見たらめんどくさいよね。好きなら言ってしまえと思うのに本人はそのままでいいみたいなこというし、何の障害もないのにこの関係を壊すのが怖いとか言ってそれ以上いかないし。そのくせやることちゃんとやってもう恋人じゃんみたいな」
それは私の話だ。
いろんなところに片思いをしていろんなヒトに思われて、けれどほんとうの恋は実らない。
「片思いなんてムダよ。相手に受け入れられなければ意味がない。それはただの、独りよがり」
それはカニクリのお話。
「だけど、それでもいいって思うこともあるよね」
「好きになるより、好かれるほうが楽。みたいな?」
「傷付かなくて済む。あ、傷付くことはあるか」
「鹿山さんみたいに好かれるのも大変じゃない? 最初から全力で大好きですって言われたら急過ぎて重いよね。気になるなー、から始まって好きかもになって、この辺で付き合うことになって、一緒にいるうちにだんだんと大好きになって、最後に結婚するみたいな」
私の恋愛の全てがそうだったらどれだけよかったことか。
「一緒にいても意見が合わなかったら一人でいるほうが楽だとも思うな」
忘れたいと思えば思うほど、一緒にいた時間のいいところだけ思い出してしまう。
あれほど傷付けて、傷付けられたのに、何て勝手な記憶なんだ。
自分で無意識に記憶を作り変えて、結局、彼を忘れることなんてできなくさせてしまう。
「私はただ、愛されてるって安心感がほしかった」
妹みたいだと言われても、アナタを独り占めできないのなら、そんなモノに意味はない。
別れ際に「全部オレが悪いから」なんて言わないで。
私はアナタに叱《しか》られたいの。
ダメな子だなって怒られてそのあとに、ぎゅっと抱きしめられたいの。
「だけど私、ほんとうに心から好きになったことはない」
そして私は何度も嘘をつく。

***

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