お気に召すまま ゾンビっ☆
さて、二人で街を歩き出してすぐ、山下くんは隣に歩くゾンビ娘の体を気遣った。
「そういえば、お日様とか当たっても平気なんですか?」
「うん、平気。だって、単に腐った死体だもの」
「でも、映画とかだと灰になっちゃうじゃないですか」
「やあね、山下くんったら、それは吸血鬼でしょ」
「あ、そうか、あっはっは!」
電信柱の陰に身を隠している里奈からは、その会話さえも楽しげな談笑にみえる。
「くぅ、あんな楽しそうに……山下くんにひっつきすぎだっつうの!」
しかし、この距離では二人の会話の内容までは聞こえない。だから、人ごみにすいっと紛れ込んで二人のすぐ背後に近寄る。
二人の会話がはっきりと聞こえた。
「デートなんて初めてだから……どこに行けばいいのかな?」
「うーん、凛もよくわかんないけど、とりあえず手でも繋いでおく?」
この言葉に、里奈がギリギリと歯噛みする。
「山下くんと手をつなぐとか、調子乗りすぎ! 私だって……山下くんと手をつなぎたいのにぃ!」
しかしここで山下くんに断られるなんてことがあってはいけない。今日は凛の心残りを祓うためのデートなのだから、彼女の望みは最優先で叶えられなくてはならないのだ。
だから里奈は身構える。もしも山下くんが断りの言葉を言うようなことがあれば、飛び出して行ってその口をふさぐつもりだ。
ところが、当の山下くんは優しく微笑んで、姫をエスコートする紳士のごとく優雅な仕草で手を差し出したのだから、これは杞憂であった。
「どうぞ、凛さん」
「なんかこれ、恥ずかしいわね」
はにかみながら凛が差し出した手首が……ボトリと音を立てて落ちた。
里奈はちょうど身構えていたその勢いのまま、弾丸のように飛び出す。
「あーもー、本当に腐れてるんだから!」
走りながら取り出したのは携帯用のソーイングセット。シュルリ、と小気味好く開かれたその中から、まるで針と糸が躍り出たように見えた。
さながら風のごとく、落ちた手首を拾い上げる。すい、すい、と針が閃く。
「これでよし、と」
あっという間に手首は縫い付けられ、元どおりになった。
ふうっと額の汗を拭う里奈に、凛が微笑みかける。
「ありがとう、里奈ちゃん」
「どういたしまして」
「でも、どうしてここにいるの?」
「えあ? え……あーっと、スーパーにおつかいに行く途中だったんだ〜」
「ふふ、わざとらしい。尾けてきたんでしょ?」
「まさか、そんな! ストーカーじゃないんだからそんなことしません。さーて、スーパーに行こう〜」
立ち去ろうとする里奈を、山下くんが呼び止めた。
「あ、あのさ、里奈ちゃんって、女の子らしいんだね」
「はえ?」
「ソーイングセット持ち歩いてるなんて、女の子らしい……」
「や、それは、その……凛があんなだから、仕方なく……」
「それでも、さ、女の子らしいと、俺は思うよ」
「いやあ、それほどでも……」
もじもじと身を揺すって見つめ合う二人の姿に焦れたか、凛が大きな声を上げる。
「もうめんどくさいからさ、三人でデートしましょ!」
「え、それってデートじゃないんじゃ……」
「いいから、ね。はい、決まり」
「ちょ、ちょっと待ってよ、凛!」
凛は待てと言われて待つようなゾンビではない。スタスタと歩き出す。が、3歩ほど歩いたところで立ち止まり、里奈を呼んだ。
「ねえ、里奈ちゃん……」
「何よ」
「やばい。足もげた」
「あー、もー! 本当にあんたは、私が付いてないと何もできないのねっ!」
「うん、だから、デートもついてきてよ」
「それはいいけど……」
里奈はチラリと山下くんを見る。今日のエスコート役は彼なのだから、その意向を知りたいと思ったのだ。
山下くんは、爽やかな外見からは想像もつかないくらいだらしなく、ぼんやりと突っ立っていた。
「デート……里奈ちゃんと、デート……」
「ちょっと、どうしたのよ」
「な、なんでもないよ、行こうか、里奈」
「なにカッコつけてんのよ。今日のデートの相手は凛でしょ、手をつなぐならあっち!」
「あ、いや、その……」
「なによ、ゾンビとは手もつなげないっていうの? 凜はあんなんだけど、私の大事なイトコなのに、腐っているからダメだっていうの?」
「ええと、そういうことじゃなくて……」
凛がふわりと微笑んで山下くんの手をとる。
「行きましょう?」
ぐいぐいと彼を引っ張りながら、その耳元でそっと囁く。
「里奈ちゃんと手をつなぎたいなら、あとで頼んであげるから」
「え、いや、そんなの……いいです」
「あら、ウチの里奈ちゃんとは手もつなぎたくないって?」
「いえ、つなぎたいです、すごく……」
「ふふふふ、だったら、もう少し素直になればいいのにね」
「ってか、俺が里奈さんを好きなこと……」
「ええ、知ってるわ。ゾンビは何でも知っているのよ」
「じゃあ、今日のデートは……?」
「さあてね、それは明日になったら解るかもよ? さて、行こう」
凛がぐいぐいと引っ張るから、山下くんは仕方なく早足で歩く。その後ろからついてくる里奈も当然早足で。
「凛、調子乗りすぎ、うちに帰ったらシメる、絶対に!」
そんな二人の複雑そうな表情などお構いなしに、凛ひとりが、とても楽しそうにニコニコと笑っているのだった。
さて、三人がやってきたのはバイキング方式の焼肉店……デートといっても特になにをすればいいのかもわからず、とりあえず食事でも、という流れである。
席に通された里奈は、ひどい不服顔であった。紙おしぼりで手を拭きながら、リンをギリッと睨み付ける。
「なんで食事なのよ」
山下くんの隣を陣取った凜はご機嫌だ。
「あら、里奈ちゃん、焼肉嫌い?」
「そういうことじゃなくて、アンタ、食べる必要のない体じゃない」
「そうね、確かに死体なんだから、食べる必要はないわね、でも、食事をするための機能が失われたわけじゃないのよ?」
「そういうことでもなくて!」
「ねえ、里奈ちゃん、私だって、かつては人間だったのよ。だからたとえ栄養にはならなくっても、こうして誰かと食卓を囲むことは、なにものにも代えがたい喜びなのよ」
「う~、わかったわよ。そのかわり、料理は自分で取りに行っちゃダメよ、アンタは腐ってるんだから、お店の迷惑でしょ」
「は~い」
素直に座席に座ったままの凛のために、里奈は肉を取りに立つ。山下くんはそんな彼女を追って肉のショウケースの前にいた。
里奈が手にした皿には肉が次々と、てんこ盛り目指して積み上げられてゆくのだから山下くんが目を丸くする。
「そんなに食べるの?」
「あ……ちがうの、これは凜に」
「それにしたってさあ、凛ちゃんだって女の子だろ」
「いいえ、あれはゾンビよ」
「あ~」
「でもね、それでも、一緒に食事するのが喜びだって言ってくれたから……なんだか、いっぱい食べさせてあげたいな、とか思っちゃって……」
「里奈ちゃん……優しいんだね」
「はあ? や、優しくなんかないわよ。ただ、凜はイトコで、小さいころから姉妹みたいにして仲良く育ってきたから……だから……」
里奈の目じりから一筋、つうっと涙が伝う。
「本当はね、里奈ちゃんをゾンビにしちゃったのは私なの。あの時、里奈ちゃんが死んだことを認められなくて、強く、強く願っちゃったの、『どんな姿でもいいから里奈ちゃんを返してください』って」
「うん、その願いが叶っちゃったんだね」
「でもね、死んだ人間をこの世に縛っておくなんて、本当はいけないことだって知ってるの……不自然なことだって、知ってるの……だから……」
「いいよ、里奈ちゃん、もうそれ以上は言わなくていいよ」
山下くんが里奈の肩を抱き寄せ、そっと囁いた。
「君の気持ちはわかったから、大丈夫。俺もキミと一緒にその悩みを背負ってあげるよ」
「そんなことまでしてもらう義理はないわよ」
「義理はないけどさ、でも、俺がそうしたいんだよ。だって、俺はキミのことが……」
そこまで言いかけたそのとき、店内に女性の声が響いた。
「お客様、困ります!」
それに答えているのは、もちろん凛の声だ。
「だって、お肉が遅いから、お腹がすいちゃって……てへぺろりん☆」
「だからって、ご自分のホルモンを焼かないでください」
どうやら凜は、洋服の中から引きずり出した自分の腸を焼こうとして店員におこられたらしい。里奈は肉の乗った皿を抱えて駆け寄る。
「ご、ごめんなさい、もうさせませんから!」
めがねをかけた神経質そうな店員は「ふふん」と鼻を鳴らして里奈を一瞥した。
「まったく最近の若い子は……」
「ほ、本当にごめんなさい」
ただ頭をさげて店員を追い返したあとで、里奈は少し泣きそうな顔になった。
「もう、凛のバカ!」
「バカっていうほうがバカなんだもん」
「そういうことじゃなくて……どうしてそうやってゾンビみたいなことばかりするの!」
「ゾンビだから」
「ちがう、違うの、私が言いたいのはそこじゃない。ゾンビっていっても、映画のゾンビみたいに知能すら失っているわけじゃない、その気になればふつうの人間のフリだってできるのに、どうして……」
「長ったらしい話、きら~い。お肉、お肉食べようよ!」
「あ、凛!」
「せっかくのデートなのにお説教とかイヤ」
「それでも、ちゃんと聞きなさいよ、凛!」
「これ以上ごちゃごちゃ言われたらぁ、心残りになっちゃうかも~」
「う、くうっ!」
肉が山盛りになった皿を奪うように手元に引き寄せて、凛がにんまりと笑う。
「わあ、おいしそう」
「わかったわよ、とりあえず肉、焼きましょうか」
「え、こんなにおいしそうなお肉、焼いちゃうなんてもったいないよ?」
「焼かないで、どうやって食べるのよ!」
「こうやって」
いきなり手づかみ。生肉をごっそりと握り込んだ凜は、それを口元に押し付けてすすりあげた。
「じゅる、じゅび、ずじゅるるる」
不快な音が店内に響く。隣のテーブルのカップルは眉をひそめ、ファミリー客の子供たちことごとくが泣き出す。
「凛、さすがにそれはダメ、ねえ、凜ってば!」
悲痛な声で叫ぶ里奈を見上げた凛の双眸には、黒目がなかった。ただ白く濁った眼球が、実にゾンビ的にグリグリと動く。
「う~、あ~、う~」
両手をだらりと下げて立ち上がった凛の姿は、無差別に人をくらう不死のバケモノそのもの。
「り、凛? どうしちゃったの、凛!」
生肉を垂らした唇がかすかに震えて、彼女の最後の言葉を紡ぐ。
「里奈……逃げて、里奈……」
「凛、どうして!」
「今までずっと、我慢してたの。あなたを食べたくて仕方ない、それを我慢してたの。だって、ずっと一緒にいたかったから……」
「凛、り~ん!」
取りすがろうとする里奈の腕を、山下くんが引き寄せた。
「里奈っ、逃げるんだ!」
「いやだ、逃げたりしない! あれは凜なの、私の大事な、優しいイトコなの!」
「もう違う!」
そう、今や彼女はおかしなうめき声をあげ、ゆらりゆらりと体を揺らす本物のゾンビと成り果てている。
「うあ~」
両手を前に突き出して、そのゾンビはまっすぐに里奈に向かって突き進んでいた。
だが、その歩き方も実にゾンビ的だ。取れかけた脚を庇うように引きずり、ずるり、ぺたんと拙い歩を進める。
「幸い、彼女の目標はキミだけみたいだ。ここで他の被害者を出さないためにも、逃げよう!」
言われた里奈は、店内を見回した。
子供たちがおびえて親にしがみついている。もはや泣き叫ぶこともなく、ただ恐怖に凍り付いて。
親たちも子供を守ることで精一杯なのだろう、誰も声を上げることなく、雛を守る親鳥のように両腕を広げて子供たちを抱きこんで震えるばかりだ。
「さあ、早く!」
山下くんに手を引かれて、里奈はその店から飛び出した。
凜は、ゆらりゆらりと揺れながらそのあとを追う。もはや扉を通るというありきたりなことさえ理解できなくなっているのだろうか、ガラス窓に向かってまっすぐに突き進む。
店内の全ての人が息をのみ、目を閉じたその瞬間、ガラスは体当たりしてきたゾンビを受け止めきれずに大きな音をたてて破砕された。
「そういえば、お日様とか当たっても平気なんですか?」
「うん、平気。だって、単に腐った死体だもの」
「でも、映画とかだと灰になっちゃうじゃないですか」
「やあね、山下くんったら、それは吸血鬼でしょ」
「あ、そうか、あっはっは!」
電信柱の陰に身を隠している里奈からは、その会話さえも楽しげな談笑にみえる。
「くぅ、あんな楽しそうに……山下くんにひっつきすぎだっつうの!」
しかし、この距離では二人の会話の内容までは聞こえない。だから、人ごみにすいっと紛れ込んで二人のすぐ背後に近寄る。
二人の会話がはっきりと聞こえた。
「デートなんて初めてだから……どこに行けばいいのかな?」
「うーん、凛もよくわかんないけど、とりあえず手でも繋いでおく?」
この言葉に、里奈がギリギリと歯噛みする。
「山下くんと手をつなぐとか、調子乗りすぎ! 私だって……山下くんと手をつなぎたいのにぃ!」
しかしここで山下くんに断られるなんてことがあってはいけない。今日は凛の心残りを祓うためのデートなのだから、彼女の望みは最優先で叶えられなくてはならないのだ。
だから里奈は身構える。もしも山下くんが断りの言葉を言うようなことがあれば、飛び出して行ってその口をふさぐつもりだ。
ところが、当の山下くんは優しく微笑んで、姫をエスコートする紳士のごとく優雅な仕草で手を差し出したのだから、これは杞憂であった。
「どうぞ、凛さん」
「なんかこれ、恥ずかしいわね」
はにかみながら凛が差し出した手首が……ボトリと音を立てて落ちた。
里奈はちょうど身構えていたその勢いのまま、弾丸のように飛び出す。
「あーもー、本当に腐れてるんだから!」
走りながら取り出したのは携帯用のソーイングセット。シュルリ、と小気味好く開かれたその中から、まるで針と糸が躍り出たように見えた。
さながら風のごとく、落ちた手首を拾い上げる。すい、すい、と針が閃く。
「これでよし、と」
あっという間に手首は縫い付けられ、元どおりになった。
ふうっと額の汗を拭う里奈に、凛が微笑みかける。
「ありがとう、里奈ちゃん」
「どういたしまして」
「でも、どうしてここにいるの?」
「えあ? え……あーっと、スーパーにおつかいに行く途中だったんだ〜」
「ふふ、わざとらしい。尾けてきたんでしょ?」
「まさか、そんな! ストーカーじゃないんだからそんなことしません。さーて、スーパーに行こう〜」
立ち去ろうとする里奈を、山下くんが呼び止めた。
「あ、あのさ、里奈ちゃんって、女の子らしいんだね」
「はえ?」
「ソーイングセット持ち歩いてるなんて、女の子らしい……」
「や、それは、その……凛があんなだから、仕方なく……」
「それでも、さ、女の子らしいと、俺は思うよ」
「いやあ、それほどでも……」
もじもじと身を揺すって見つめ合う二人の姿に焦れたか、凛が大きな声を上げる。
「もうめんどくさいからさ、三人でデートしましょ!」
「え、それってデートじゃないんじゃ……」
「いいから、ね。はい、決まり」
「ちょ、ちょっと待ってよ、凛!」
凛は待てと言われて待つようなゾンビではない。スタスタと歩き出す。が、3歩ほど歩いたところで立ち止まり、里奈を呼んだ。
「ねえ、里奈ちゃん……」
「何よ」
「やばい。足もげた」
「あー、もー! 本当にあんたは、私が付いてないと何もできないのねっ!」
「うん、だから、デートもついてきてよ」
「それはいいけど……」
里奈はチラリと山下くんを見る。今日のエスコート役は彼なのだから、その意向を知りたいと思ったのだ。
山下くんは、爽やかな外見からは想像もつかないくらいだらしなく、ぼんやりと突っ立っていた。
「デート……里奈ちゃんと、デート……」
「ちょっと、どうしたのよ」
「な、なんでもないよ、行こうか、里奈」
「なにカッコつけてんのよ。今日のデートの相手は凛でしょ、手をつなぐならあっち!」
「あ、いや、その……」
「なによ、ゾンビとは手もつなげないっていうの? 凜はあんなんだけど、私の大事なイトコなのに、腐っているからダメだっていうの?」
「ええと、そういうことじゃなくて……」
凛がふわりと微笑んで山下くんの手をとる。
「行きましょう?」
ぐいぐいと彼を引っ張りながら、その耳元でそっと囁く。
「里奈ちゃんと手をつなぎたいなら、あとで頼んであげるから」
「え、いや、そんなの……いいです」
「あら、ウチの里奈ちゃんとは手もつなぎたくないって?」
「いえ、つなぎたいです、すごく……」
「ふふふふ、だったら、もう少し素直になればいいのにね」
「ってか、俺が里奈さんを好きなこと……」
「ええ、知ってるわ。ゾンビは何でも知っているのよ」
「じゃあ、今日のデートは……?」
「さあてね、それは明日になったら解るかもよ? さて、行こう」
凛がぐいぐいと引っ張るから、山下くんは仕方なく早足で歩く。その後ろからついてくる里奈も当然早足で。
「凛、調子乗りすぎ、うちに帰ったらシメる、絶対に!」
そんな二人の複雑そうな表情などお構いなしに、凛ひとりが、とても楽しそうにニコニコと笑っているのだった。
さて、三人がやってきたのはバイキング方式の焼肉店……デートといっても特になにをすればいいのかもわからず、とりあえず食事でも、という流れである。
席に通された里奈は、ひどい不服顔であった。紙おしぼりで手を拭きながら、リンをギリッと睨み付ける。
「なんで食事なのよ」
山下くんの隣を陣取った凜はご機嫌だ。
「あら、里奈ちゃん、焼肉嫌い?」
「そういうことじゃなくて、アンタ、食べる必要のない体じゃない」
「そうね、確かに死体なんだから、食べる必要はないわね、でも、食事をするための機能が失われたわけじゃないのよ?」
「そういうことでもなくて!」
「ねえ、里奈ちゃん、私だって、かつては人間だったのよ。だからたとえ栄養にはならなくっても、こうして誰かと食卓を囲むことは、なにものにも代えがたい喜びなのよ」
「う~、わかったわよ。そのかわり、料理は自分で取りに行っちゃダメよ、アンタは腐ってるんだから、お店の迷惑でしょ」
「は~い」
素直に座席に座ったままの凛のために、里奈は肉を取りに立つ。山下くんはそんな彼女を追って肉のショウケースの前にいた。
里奈が手にした皿には肉が次々と、てんこ盛り目指して積み上げられてゆくのだから山下くんが目を丸くする。
「そんなに食べるの?」
「あ……ちがうの、これは凜に」
「それにしたってさあ、凛ちゃんだって女の子だろ」
「いいえ、あれはゾンビよ」
「あ~」
「でもね、それでも、一緒に食事するのが喜びだって言ってくれたから……なんだか、いっぱい食べさせてあげたいな、とか思っちゃって……」
「里奈ちゃん……優しいんだね」
「はあ? や、優しくなんかないわよ。ただ、凜はイトコで、小さいころから姉妹みたいにして仲良く育ってきたから……だから……」
里奈の目じりから一筋、つうっと涙が伝う。
「本当はね、里奈ちゃんをゾンビにしちゃったのは私なの。あの時、里奈ちゃんが死んだことを認められなくて、強く、強く願っちゃったの、『どんな姿でもいいから里奈ちゃんを返してください』って」
「うん、その願いが叶っちゃったんだね」
「でもね、死んだ人間をこの世に縛っておくなんて、本当はいけないことだって知ってるの……不自然なことだって、知ってるの……だから……」
「いいよ、里奈ちゃん、もうそれ以上は言わなくていいよ」
山下くんが里奈の肩を抱き寄せ、そっと囁いた。
「君の気持ちはわかったから、大丈夫。俺もキミと一緒にその悩みを背負ってあげるよ」
「そんなことまでしてもらう義理はないわよ」
「義理はないけどさ、でも、俺がそうしたいんだよ。だって、俺はキミのことが……」
そこまで言いかけたそのとき、店内に女性の声が響いた。
「お客様、困ります!」
それに答えているのは、もちろん凛の声だ。
「だって、お肉が遅いから、お腹がすいちゃって……てへぺろりん☆」
「だからって、ご自分のホルモンを焼かないでください」
どうやら凜は、洋服の中から引きずり出した自分の腸を焼こうとして店員におこられたらしい。里奈は肉の乗った皿を抱えて駆け寄る。
「ご、ごめんなさい、もうさせませんから!」
めがねをかけた神経質そうな店員は「ふふん」と鼻を鳴らして里奈を一瞥した。
「まったく最近の若い子は……」
「ほ、本当にごめんなさい」
ただ頭をさげて店員を追い返したあとで、里奈は少し泣きそうな顔になった。
「もう、凛のバカ!」
「バカっていうほうがバカなんだもん」
「そういうことじゃなくて……どうしてそうやってゾンビみたいなことばかりするの!」
「ゾンビだから」
「ちがう、違うの、私が言いたいのはそこじゃない。ゾンビっていっても、映画のゾンビみたいに知能すら失っているわけじゃない、その気になればふつうの人間のフリだってできるのに、どうして……」
「長ったらしい話、きら~い。お肉、お肉食べようよ!」
「あ、凛!」
「せっかくのデートなのにお説教とかイヤ」
「それでも、ちゃんと聞きなさいよ、凛!」
「これ以上ごちゃごちゃ言われたらぁ、心残りになっちゃうかも~」
「う、くうっ!」
肉が山盛りになった皿を奪うように手元に引き寄せて、凛がにんまりと笑う。
「わあ、おいしそう」
「わかったわよ、とりあえず肉、焼きましょうか」
「え、こんなにおいしそうなお肉、焼いちゃうなんてもったいないよ?」
「焼かないで、どうやって食べるのよ!」
「こうやって」
いきなり手づかみ。生肉をごっそりと握り込んだ凜は、それを口元に押し付けてすすりあげた。
「じゅる、じゅび、ずじゅるるる」
不快な音が店内に響く。隣のテーブルのカップルは眉をひそめ、ファミリー客の子供たちことごとくが泣き出す。
「凛、さすがにそれはダメ、ねえ、凜ってば!」
悲痛な声で叫ぶ里奈を見上げた凛の双眸には、黒目がなかった。ただ白く濁った眼球が、実にゾンビ的にグリグリと動く。
「う~、あ~、う~」
両手をだらりと下げて立ち上がった凛の姿は、無差別に人をくらう不死のバケモノそのもの。
「り、凛? どうしちゃったの、凛!」
生肉を垂らした唇がかすかに震えて、彼女の最後の言葉を紡ぐ。
「里奈……逃げて、里奈……」
「凛、どうして!」
「今までずっと、我慢してたの。あなたを食べたくて仕方ない、それを我慢してたの。だって、ずっと一緒にいたかったから……」
「凛、り~ん!」
取りすがろうとする里奈の腕を、山下くんが引き寄せた。
「里奈っ、逃げるんだ!」
「いやだ、逃げたりしない! あれは凜なの、私の大事な、優しいイトコなの!」
「もう違う!」
そう、今や彼女はおかしなうめき声をあげ、ゆらりゆらりと体を揺らす本物のゾンビと成り果てている。
「うあ~」
両手を前に突き出して、そのゾンビはまっすぐに里奈に向かって突き進んでいた。
だが、その歩き方も実にゾンビ的だ。取れかけた脚を庇うように引きずり、ずるり、ぺたんと拙い歩を進める。
「幸い、彼女の目標はキミだけみたいだ。ここで他の被害者を出さないためにも、逃げよう!」
言われた里奈は、店内を見回した。
子供たちがおびえて親にしがみついている。もはや泣き叫ぶこともなく、ただ恐怖に凍り付いて。
親たちも子供を守ることで精一杯なのだろう、誰も声を上げることなく、雛を守る親鳥のように両腕を広げて子供たちを抱きこんで震えるばかりだ。
「さあ、早く!」
山下くんに手を引かれて、里奈はその店から飛び出した。
凜は、ゆらりゆらりと揺れながらそのあとを追う。もはや扉を通るというありきたりなことさえ理解できなくなっているのだろうか、ガラス窓に向かってまっすぐに突き進む。
店内の全ての人が息をのみ、目を閉じたその瞬間、ガラスは体当たりしてきたゾンビを受け止めきれずに大きな音をたてて破砕された。