アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
井出さんは言いにくそうに口ごもると、ボールペンで頭を掻(か)いた。
「今、殿下側からあなたのパスポートの発行と、王子と一緒に日本からあなたの出国を求める書類が提出されているんですが、あなたはそれに同意しているんですか。
殿下の意図するあなたの出国が単純に『旅行』という意味ではないからあえて聞いているんですがね」
カガンに来て欲しいという話をミハイルから聞いたのは昨夜遅くだ。
翌日の夕方にはもう話が日本の外務省にまで通っているという仕事の早さに私は内心驚いた。もしや私がこの話を実際耳にするよりも前にこの話は動き出していたのではないか、そんな考えさえ浮かんでくるほどの早さだった。
「殿下からそういう話はありました。なんというか……王子は今、あの若さで両親を失いました。彼には支えが必要じゃないかとは……思います。
つい最近親しくなった私にそれができるのかといわれると自分でもよくわかりません。
でも、今あの子を……あ、すみません。ミハイルの話を、……その。身分とか、そういうフィルターをかけずに聞いてあげられるのは、少なくともミハイルの臣民であるカガンの人たちでは、だめなのかな、と思うんです」
さして親しくもない井出さんにそんな自分の心のうちを漏らすのは少し恥ずかしかった。
いい年をして、私は出会ったばかりの二十歳そこそこの青年と一緒に、安全とは言えない国へ渡ろうとしているのだ。井出さんから見れば私は王子との恋に浮かれて正常な判断力を失っているように見えるに違いない。私が彼の立場だったとしても同じように思うだろう。