アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)
自分にどれほどのことができるのかと言えば、たいしたことはできないだろうと思う。
それでも私は少しでも彼の支えになれたらと思ったのだ。
両親を殺した人々の中へ戻っていく彼の手を振り払うなんてむごいことはできない。
意外なことに、井出さんは愚かな決心をした私を止めることはしなかった。
彼はしばらく困ったような顔をして口をつぐんでいたが、やがて真剣な表情で語り始めた。
「僕は五年前にカガンに大使館の職員として滞在していました。
ですから、あなたの気持ちがカガンへ行くことに傾いているのなら、少し僕の知っているカガンの話をしておきましょう。
これからあなたがカガンに行くつもりでもそうでなくても、……今のあなたは少しでもカガンのことを知っておくべきでしょう」
私はその親切な申し出に頭を下げた。
彼は聞き取り調査として私を呼んだ。そして実際に聞き取り調査は行われた。そこで彼のすべきことは終わったはずだった。
けれど、彼は私から知りたい情報を引き出すと同時に、自分の知っている情報も提供しようとしてくれている。
彼の表情や態度を見ていると、井出さんはどうも個人的に私を心配してくれているらしかった。
「国連軍が入ったとはいえ、カガンは今も危険な状態です。
あなたの行動を制限することは人権侵害にも繋がりかねませんので、今の段階で外務省はあなたの渡航を禁止することはしませんが、われわれとしては今のカガンへの民間人の渡航はお勧(すす)めできません。例え短期間の旅行であっても危険だと思います」
「……はい」
「それに、……カガン公邸のそばで生まれ育ったとはいえ、あなたは普通の方でカガンのことはあまりご存じないでしょう」
「はい」
「カガンは素晴らしい文化を持つ古い国です。
すぐれた文学作品、音楽、美術工芸品の輸出国でもあります。
国民の大半は穏やかで彼らの宗教に対して敬虔(けいけん)です。また豊かな地下資源を持つ国でもあります。
ですが、つい数十年前までは大国の属領の一つでしたから、その時代に豊かだった資源をかなり失いました。ただ同然でね。
だから国民全体の生活水準は正直言って低いですし、経済発展も遅れている。今の情勢を見れば政治的に安定しているとはとてもいえません。つまり、カガンを先進国の一つとして数えることはできない。
それに、この国は人権思想がまだ民衆レベルまで浸透しておらず、不法な債務奴隷制度も残っていますし、日本人の目から見れば人権を侵害された状態の女性や子どもがたくさんいるのです」