イジワル副社長と秘密のロマンス


「……じゃあ、ね」


いつも通り、千花と別れたい。だから足を止め、俺は彼女に囁きかけた。

彼女の足も止まったけれど、それだけだった。俯いたまま、何も言わない。

言葉が返ってこないことに胸がちくりと痛んだことを無視し、一人歩き出した瞬間、後ろから腕を掴まれた。

肩越しに振り返ると、千花が俺を見ていた。


「関係ないって思うかもしれないけど、やっぱり聞いてほしい。私は、樹君に知っていてほしい」


純真な瞳が潤んでいる。必死な声に呼吸が止まる。心を掴まれた。


「私、森君とは行かないから。だって、違うの。私ずっと……ずっと樹君を誘うつもりだったの。私もあの二人と一緒。樹君と一緒に見て回れたら楽しいだろうなって、思ってた。浴衣だって……とにかく、それが私の行かない意味だから!」


一気に千花が自分の思いを口にし、顔を伏せた。息が乱れているのか、僅かに肩が上下している。

俺を掴む彼女の手に、きゅっと力がこもり、千花が顔をあげる。にこりと笑みを浮かべた。


「またね、樹君!」


千花が手を離し、俺に背を向ける。とっさに、俺は手を伸ばしていた。

彼女を捕まえたかったのに……引き留めたかったのに、手は空を切っただけだった。駆け出してしまった彼女に触れることすら出来なかった。

残った虚しさを潰したくて、俺は拳をぐっと握りしめた。



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