~団塊世代が育った里山から~

学校へ行って勉強や友だちと遊ぶのが楽しくて仕方がない子供が居れば、子供たちのなかには家庭の事情や何か思うことがあって、登校時間になっても学校に行きたがらず家でグズグズしている子供もいるのです。
そんな登校したがらない子供の事情を分かってくれる先生は、授業中であたたかい言葉で親しげに「○○チャの○○ができるのが、すごいよねぇ~」と、何でもないチョットしたことを褒めてくれるので親近感を持って先生を大好きになって登校を拒否らなくなるのです。
先生にあたたかく声をかけて褒めてもらえたことがうれしくて仕方がない子供は、怒ってばかりいる両親よりも先生の言うことなら何でも喜んで聞き入れて成績も伸びてくるのです。

子供と違う大人の面を持っている先生はいつもアメばかり与えず、時には子供心に理解するのが難しい愛のムチもあるのです。
忘れ物やいたずらが過ぎると一段高い教ダンに立つ先生が、「○○君、先生の前まで来なさい」と呼びつけた子供は、罪の意識を全く感じずに髪の毛が伸びた坊主頭の後頭部をかきながらシブシブと先生の前に行くのです。
「何で怒るか○○君分っているね、先生の言うことを聞かない罰を与えるから、これから言う項目の一つを選びなさい」と怖い顔した先生が言うのは、「一つビンタ、二つ頭をゲンコツでグリグリ、三つ耳タブを引っ張る、四つゲンコツ、五つ頬を引っ張る」五項目の制裁を伝え終わった教室のなかは、自分へもトバッチリが来ないようにシーンと静まり返っているのです。

どれかを選んで答えるまでの恐怖と痛さを想像すると、頭のなかは真っ白になってしまい恐れてうつむいたまま上目遣いに先生を見ると、まだ怖いかおをしたままでにらみつけているので慌てて目を伏せて、沈黙の静けさが何とも言い難い気まずさのなかで制裁の番号を伝えるのです。
先生は子供の将来に向けて学量があって円満な大人になるように、厳しくしつけて成長させてやろうという情熱を持った気持ちは、子供たちには時間が過ぎてから怖さと優しさの意味がわかるのです。

人気があって信頼が絶大にある先生の要因は、勉強ばかりでなくて一緒になって遊んでくれるからなのです。
先生と一緒の遊びのなかでも、校外授業という名目で狭い教室を抜け出して、青い空の下へクラス全員が学校裏の小高い山に登るのです。
森の木々の葉が芽吹く新緑のころにスケッチをして、濃い緑が強い日差しをやわらげてくれる樹の下で語りあって、山が赤や黄に色付き錦に変化する様を眺めて、季節の移り行く風景が子供たちの楽しみなのです。
見おろす四季折々と色の変わる田園風景は、ウネウネと曲がりくねって田んぼを通る街道沿いに建つ家からは、生活の匂いがする煙が一筋澄んだ空へ立ち昇るのを見ながら、「アッコ に メエルノハ ○○チャン の ウチダヨ」と教え合い、デコボコ道を三輪トラックがユラユラと揺れて砂ボコリを舞い上げながら走っている情景はノンビリとしているのです。

枯れ葉が匂う森のなかをカサカサと踏んで秋の深まった山に登り、お気に入りの場所を見つけて里に広がる田んぼの収穫後の風景を絵に描くのです。
ヤンチャで木登りの上手な子供は山猿のように自分より太い木にしがみ付いて登って、クリやアケビなど自然がくれる恵みを採って、仲のいい友だちやお目当ての女の子にあげてみんなで食べるのです。
山で一緒に食べることで仲間意識がより一層強まって、一人で問題を抱えているのではなく助け合うことで解決できるのを、たわいもない郊外授業と言う名目で学ぶのです。
先生はいつも自然体でいて、子供たちは心のつながりの大切さを指導してくれる上に、時には本気で怒ってくれるのも一緒に遊んでくれるのも、みんなが一生懸命な先生のおかげなのだと思って感謝しきれないのです。

親も子も精一杯と生きるなかで家庭の環境や持って生まれた性格で、親も見放す何人かの悪ガキも居るのです。
そんな子供が学校でルール違反をすると、先生から制裁が加えるのは日常的のことで、素手のビンタや定規や竹の棒でたたくのは当たり前なのです。
先生によっては履き古した革靴を切ったスリッパを脱いで、手加減をなしに往復ビンタするとたたいた頬の反対側に体はブッ飛び、口のなかやクチビルが切れて血が出ても先生は知らんかおなのです。
だれもが質問に答えないでいると、逆上した先生が近くにある本の角で頭を思いっきりたたいて、タンコブが本の角状にプックリと細長く腫れ上がるのですが、タンコブができようが口のなかを切ろうがたたいたことを、悪ガキは口が避けても家に帰って両親に言えないのです。
余りもの悔しさでガマンができずに両親に告げ口をすると、先生より怖い父親が怒って尊厳のある先生がたたいたなんてよほどの悪いことをしたのだと雷が落ち、先生以上に殴って寒い外に放り出して夕ご飯も食べさせてもらえないのです。
先生や父親が怒ってたたくのは、確かに自分が悪いことをしたからだと素直に反省して痛さをこらえて、重くて冷たいふとんのなかにもぐり込み声をころして泣きながら眠るのです。

いつごろか、学校で女の子のスカートをめくり上げるスカートめくりがはやりだして、お目当ての気になる女の子の下着への興味とイタズラ心で悪ガキが、遊んでいる女の子の背後にソォ~ッとけはいを消して忍び寄り、いきなり後ろからスカートを腰までめくり上げてサァ~と逃げるのです。
休み時間の教室や校庭のあっちこっちから、キャ~という黄色い悲鳴が聞こえてくるのです。
ひどいのは講堂の真ん中に手でかおを覆ってうずくまってしまい、下着を覗いたショックが大きいのか泣き出す女の子もいるのです。

男の子は性に対する意識は芽生えているものの、まだまだ幼さなくて性行動までは至らずにそこまで発展していなくて、むしろ男の子は女の子に対して恥じらいを見せているのです。
スカートめくりは女の子に対する興味の照れ隠しでイタズラの域をこえていないので、大人や学校では問題にしていないのです。
男の子は女の子と一緒に遊ぶことがなくて、少しでも女の子に興味がある話を友だちと交わすことや必要が迫って話をしただけでも、周りの男の子供たちからヤユをするのが嫌なのです。
男の友だちには女の子に全く興味がないように見せかけていて、反面内心は人一倍女の子への気持ちが芽生えていて、先生がエコヒイキをするかわいいかおで勉強のできるお目当ての女の子に対して、好意のあることをヒソカに隠し興味がないように装いながら、いろいろなイタズラやチョッカイをだして自分に関心を持ってもらおうとするのです。

初めて男の子と女の子がカップルになって、軽快な音楽のマイム・マイムやオクラホマミキサーにジェンカの曲にあわせて、フォークダンスを輪になって一緒に踊るのは秋にする大運動会の練習の時なのです。
最初は男の子も女の子もダンスで手をつなぐことや肩を組むことを恥ずかしがり、お互いが照れてつなぐフリをしてごまかそうとするのですが、見つけた先生が怒って授業時間の四十五分間を使って、教室内の机と椅子を片付けて男の子と女の子が交互で輪になって手をつないだまま、無言で立っている気恥ずかしい思いをするのです。

ダンスの練習を何度も繰り返しているうちに手をつなぐことに慣れて、やがて好きな女の子と初めて手をつなぎ肩組みができるチャンスが訪れるのです。
順番に相手が入れ替わってカップルで踊ってゆくのですが、もうすぐ好きな女の子とカップルになれる番がまわってくる四~五人前に見えた時は心臓がドキドキとしているのに、女の子の目前で曲が終わってダンスが終わりになるのです。
練習を始めたばかりの時は手をつなぐのが恥ずかしくてためらっていた手も、いつのまにかみんながシッカリと手をつないで踊るフォークダンスは、男の子も女の子も初めて異性を意識した甘酸っぱい淡い思いをするのです。
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