~団塊世代が育った里山から~

里山の学校四

里山にある小さな映画館では上映が不定期で古い映画ばかりなので、封切り映画を見たいときは停車場から汽車に乗って大きな町まで行くのです。
町へ封切り映画を見にいかなくても、娯楽に飢える人々へ年に一~二回ほど田舎をまわって映画を興業にする業者が、目につきやすい壁に大きなポスターを何カ所も貼って有料の映画を学校の講堂を借りてするのです。

画像を映し出す大きなスクリーンは、本編を上映する前に国内外で起こった災害や事故のニュース映像を映し出す後に、いよいよ憧れの銀幕のヒーローが演じる映画がはじまるのです。
真っ暗な闇のなかに光の束で5~4~3~2~1と数字がカウントダウンをしていくと、映画の製作会社ロゴが映し出てから始まるのです。
雲海の上にそびえる富士山を背景に松竹と映し出す松竹映画、荒磯に大波が岩にぶつかって砕け散る東映映画、雲海の上に朝焼けのする光の束が末広がりに映し出す大映などで、これから始まる本編を見る前に心がウキウキするのです。
昼間の上映は窓に暗幕を引いて暗くするのですが、講堂のなかは空気がよどんで人の熱気で蒸し暑い上に、硬い床板に座る人たちは暑さと痛さにガマンをしながら見るのです。
夜に上映する映画は講堂の大きなガラス窓から月明かりが入って映像が薄くなることや、突然に風が吹き込んでスクリーンをゆらし大好きな俳優のかおがゆがんで見えるのです。

都会で封切りをして地方まわりをしてきた円盤状に巻いたフィルムは、何度も使い回して傷がついた映像は雨が降っているように映って、弱くなったフィルムは強い光を発する映写ランプの高熱で突然と燃えあがるのです。
フィルムが燃え上がった熱で映写ランプも切れて、スクリーンに明かりがなくなった講堂は暗闇になって、映写ランプの交換とフィルムをつなぎ合わせる作業で照明がついて明るくなると、子供たちは学校の休み時間に遊ぶように講堂を飛び回るのです。

上映する映画は時代劇が圧倒的に多いのですが、なかでも子供たちに大人気なのが連続ラジオドラマを映画化した、少年剣士の赤胴鈴乃助は子供たちのヒーローなのです。
赤胴鈴之助が悪者に後ろから刀で切りつけそうになると、観客が「アブネェナァ 後ろに ワルモン が エルゾォ~ 鈴之助」とスクリーンに向かって叫ぶのです。
良い者役が悪者役に仕掛けて窮地へおちいるシーンでは、サッソウと味方が登場すると大人も子供も全員で割れんばかりに拍手がおこり、時代劇映画は良い者役と悪者役の線がハッキリしていてわかりやすいのです。

学校の授業でする教育映画の鑑賞は、子供たちが大人に成長する過程で人格をつくる大きな影響があるので、学校では定期的に教育教材の一環として上映するのです。
一般的に作る娯楽性や芸術性を追い求めた映画と違って、映画制作会社が子供たちの情緒教育のために作った映画を文部省が認定した作品なのです。
教育映画の映写は、真っ暗な講堂に貼ったスクリーンに一番初めに浮かび上がるのが、文部省選定作品と映し出すのです。

そんな教育映画のなかでも児童文学を映画にした「ノンちゃん雲に乗る」は、子供たちを感動させて心を豊かにしてくれる映画なのです。
内容はどこにでもあるような家族の話なのですが、自分を産んでくれた母親がどんなに大きな存在なのか、親子の強い絆が映画を見る子供たちに教えてくれるのです。
主人公のノンちゃんは、家族のなかでも特に甘えっ子なのですが、学校では級長に選ぶくらい優等生ですが半面はかなりのおてんばな女の子なのです。

ノンちゃんが学校から帰ってくると、お母さんと兄さんで一緒に東京へ連れて行ってくれる約束だったのが、だれもいない家にノンちゃん一人を置き去りにして行ってしまうのです。
ノンちゃんは置いていった悔しさから道々泣きながら歩いて、森のなかの昼でも暗い神社の境内にあるモミジの木に登って、真下の池を眺めるとユラユラと水面に写る白い雲の文様が面白くて、もっと良く見ようと細い枝の先まで行ったら枝が折れて、水面に写る白い雲のなかへ水しぶきを上げて落ちるのです。
どこからともなく長くて白いヒゲのおじいさんが目の前に現れて、ノンちゃんを拾い上げて白い雲の上にのせてくれて、ノンちゃんと話のなかでウソをつけば家に帰れると言うのですがウソが言えないのです。
おじいさんは「それでいいんだよ」と言って、ノンちゃんを優しくソ~ッと抱きあげて下界におろしてくれたノンちゃんは、気を失っていて目を開けると家の人たちやお医者さんが心配そうに見つめているのです。

ノンちゃんが意識のない間に見た不思議な老人が導いて、雲の上の世界を見たことを描いたファンタジーな映画なのです。
ノンちゃんの家族は田舎で犬や鶏と暮らして、広い麦畑のなかにポツンと建っている家は自然の田園風景のなかにあるので、スクリーンに映し出す田舎の映像は里山の子供たちの住む風景とダブって見えて、映画の物語に涙ぐみ不思議な感じを受けて親近感をもつのです。

たそがれの薄青い空に赤く染まる雲を背景に、ライトアップしたシンデレラ城がオープニングロゴに映し出すディズニー映画は、家庭に普及しだしたテレビがまだ白黒なのに総天然色なのです。
スクリーン脇の二つの大きなスピーカーから流れる音楽のすばらしさに、キメ細かく鮮明に映し出す画像は雑誌でしか見たことがない動物のキャラクターが、普通の人のように動くのにはビックリしてしまうのです。

「空飛ぶダンボ」は長編アニメ映画なのですが奇想天外な物語で、大きな耳を使って空を飛ぶ象のダンボが主人公で、ディズニー映画の魅力がたっぷりと盛り込んで子供たちは心が失ってしまうのです。
サーカス象のジャンボのもとにコウノトリが赤ちゃんを運んできて、赤ちゃんのダンボに愛情を込めて育てるのですが、ダンボの耳は大きくてみんなからの笑い者で、サーカスの人たちも見に来た子供たちも仲間の象でさえ意地悪をするのです。
サーカスを見に来た子どもたちから、ダンボがイジメをうけているところを見たジャンボは、子供たちに対して怒って大暴れするのですが、止めさせようとしたサーカス団長を投げ飛ばしてしまい、オリにいれたところへダンボが訪ねてくるのです。

オリのなかのジャンボは、鉄格子の隙間から長い鼻を出してダンボを抱き上げて子守唄を歌うシーンで、母子の愛情に感銘した子供たちはスクリーンを見つめる目から涙がこぼれているのです。
一人残ったダンボはサーカスの出し物で失敗ばかりするのですが、いつも慰めてくれるのがネズミのティモシーなのです。
ティモシーはひょっとしたらダンボの大きな耳を使って空を飛べるのではと思い、カラスたちに協力してもらい空を飛ぶ練習をした結果に、両耳をグライダーの翼みたいに使って空を飛ぶのができたのです。
みんなが笑った大きな耳を使って、気持ち良くユックリと大空を飛ぶダンボは独りでは何もできなかったのが、ティモシーやカラスたちが助けて自分の弱点を乗り越えるのができたのです。

一人では何もできなかったダンボが、空を飛ぶ象としてサーカスのスターになる話なのですが、みんなの助けがあって自分に自信が付き強くなれることを教えてくれる映画なのです。
こんなに長いアニメの映画で総天然色なのは見たことがなくて、映し出す非日常的なシーンと美しい音楽にビックリ仰天なのです。
見終わった子供たちは友だちの大切さと思いやりの心を持つことを、新たに考えるのを映画で学ぶのです。
長編映画を上映する暗いなかで不思議でならないのが、なんで大型映写機が卓球台の上に二台を並べて置いてあるのかがわからないのです。
上映中に後ろに並べた映写機を振り返って見れば理解できるのですが、心はディズニー映画に夢中でまばたきもしないで、スクリーンに映し出す映像に見入るのです。
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