~団塊世代が育った里山から~

里山の学校十

学校行事のなかで教育の成果を劇や唱歌を演じたり歌ったりして、親や人々に披露する学芸会があるのです。
学芸会の何カ月前に高学年の子供たちに、「学芸会で行う演目を何にするかをみんなで話し合って決めなさい」と先生が言うのです。
合唱にするか劇にするか話がまとまらず決めかねていると、シビレを切らした先生が「高学年が演じても恥ずかしくない狂言をやりなさい」と言うのです。

狂言という言葉も知らない子供たちなのに、先生はあらかじめ用意をしておいた台本を全員に配ってから、配役をだれにするか決めようとするのです。
子供たちに人気があって歌も演技がうまく個性の強い子供もいるのですが、配役は先生の頭のなかで大よそ決まっていて、決定する裏には子供たちの知らない世界の先生と親のしがらみが反映しているのです。
裕福な親の生き方が自分の子供に伝わって、経済力が学習の環境を良くしている子供は優秀で元気がイッパイなのは親の影響が強く出ていて、子供を溺愛することで何か勘違いをしているのです。
みんなが平等に育つことを理想とした民主主義教育は、親と先生の特別な関係によっていびつな形になって、先生が目をつけた子供を特別に有利へ計らうのを感じた子供たちは、エコヒイキという言葉を使うようになるのです。
先生は子供たちの全員を平等に接するのが当然なのですが、エコヒイキをしていない子供がエコヒイキをする子供にうらやましい感情を持って学校生活に不平等感が生じるのです。
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