~団塊世代が育った里山から~
三種の神器
かなりの時間をかけて大都会から家事労働を軽減してくれる三種の神器と言う文明の利器が、生活の豊かさの象徴として里山にもやってきたのです。
三種の神器は電気冷蔵庫や電気洗濯機とテレビで、どこの家でも欲しいと思う気持ちはだれにもあるのですが、世の中は豊かになりつつあってもまだ買う余裕は一般の家庭では厳しいのです。
どこの家でも普通に二世帯が同居をする大家族と一緒に暮らす母親は、毎日を家事と農作業に忙しくしているうえに多量に出る洗濯ものは、相も変わらずに金タライで固形石けんを塗り付けて溝の彫った洗濯板にゴシゴシと擦って洗うのです。
すすぎは街道脇に流れる水路の洗い場で、切れるような冷たい水で一枚ずつ流れにつけて揺らしながらすすぐのです。
冷蔵庫なんて一般の家庭に有るわけがなく、魚屋にある厚い板を箱状に組み立て内部にブリキを貼ったもので、電気を使わず上段に氷の塊を入れて冷やす木製冷蔵箱だけなのです。
残ったオカズの保存は、冬は戸棚のなかにしまい夏は風通しのいい涼しい所のチャブ台に置いてハエ帳をかぶせておくのです。
コンセントさえあればどこでもご飯が炊ける電気炊飯器は、最近は電器屋で売っているのですがモミ殻の豊富な農家で炊飯に不自由がなくヌカ釜が活躍していて、母親はカマについたススや噴きこぼれを毎回に洗うヌカガマで炊くのです。
都会から流れてくる文明の波が裕福な家に浸透してきて、娯楽の主流だったラジオからテレビに移行する変化が表れ今まで読むことに聞くことだけだったのが、画像が動いてブラウン管に映るのを見る聞くことのできるテレビに徐々に変わりつつあるのです。
多くの人たちはテレビが買えるまで知りえる情報の大半は、ラジオから得ていて詳しくは新聞や雑誌に頼っていたのです。
家庭のラジオは神棚と同じように茶の間の棚の上でデンと鎮座して、ピカピカに磨がいた光タクのある木目のボデーで、幅は三十~四十㎝で大きくダイヤルを回して周波数を会わせるのですが、内部の精密回路は都会のビルのように並ぶ真空管なのです。
夕方になるとラジオの前に家族が集まって、ニュースや浪曲に落語などと相撲中継を聞いて想像たくましく楽しみ、子供たちは連続時代ドラマの赤胴鈴之助やトンチ教室を夢中になって聞いて想像をたくましくしたり感激したりするのです。
ラジオから流れるニュースは、都会でテレビの普及が急激に伸びている放送を聞くのですが、子供たちは遠くの話しのように無頓着に聞いているのです。
人工衛星の打ち上げ成功をラジオのニュースで知って、夕暮れの寒々とした空に出た真ん丸な月を見ながら、「オラッチ が デッカェク なったらロケットに乗って月に エゲル ソンダゲド ウサギ が フントニ ウソコギ の話し デネエクテ エッペェゴト 餅をついて エンダロウカ ネヤ」と、未来を空想したたわいもない無邪気な話をしているのです。
徐々にテレビ放送へ関心を持ち出した子供は、受信状態が悪くてピーピーガーガーと雑音がして音が遠くなり近くなるラジオの周波数を示す表示窓を指して、「コンダァ 音 バッカ シカ シネェ ラジオ デェ ネエクテサ 窓に映画 ミタク シトヤ エノ が動いて映るテレビが ラジオヤ で売って エルンダトォ」と、知ったかぶりをするのです。
都会では当たり前のように普及しているテレビを、子供たちはまだ見ないテレビの知識はその程度なのです。
家庭の娯楽がラジオから高価なテレビに徐々に変わり始めているのですが、多くの人は圧倒的にラジオを聞いていて里山ではまだテレビが主流のメディアになっていないのです。
一年が過ぎるごとにエヌエチケーと受信契約の証明をするステッカーが、誇らしげに玄関の目につく所に貼りだすのが多く見受けるようになるのです。
貼ってある家では権威のあるオヤジがテレビの前で、丸くて大きなダイヤルをガチャンガチャンと回してチャンネルを合わせる光景は、里山に住む人それぞれの貧富の差を象徴するようなのです。
近所の家にテレビが入ったのを聞いて好奇心がイッパイで見に行くと、観音開きの木製のケースに収まって分厚いドンチョウのような幕がかぶされ、茶の間の正面で堂々と文明の利器が鎮座しているのです。
最近になって特に学校で友だちとの話題になるのが人気テレビドラマの話ばかりで、話題についていけない子供は疎外感を感じてしまい、話を合わせたい一心で人気番組の放映する日はテレビのある家に押しかけて厚かましく茶の間に上がり込で見せてもらうのです。
押しかけて家族団ランを邪魔してまで見たい憧れる人気のドラマヒーローはたくさんいて、怪傑ハリマオや少年ジェットと月光仮面に鉄人二十八号がいて、それぞれが子供たちのヒーローなのです。
普及したばかりの小さなブラウン管に映し出る映像は、白黒で絶えず砂粒のような白いものが無数に飛んでいて、前触れもなく急に映像が右に左にねじれてゆがむのです。
そんなテレビの映像が見づらく三十分の番組を見るだけで目が疲れ、音声はザザァーザザァーと耳障りな雑音を発して、まばたきしない役者のセリフは何を言っているのか聞き取れないのです。
テレビのある家族が嫌がって迷惑をかる遠慮の思いと、我が家にテレビが買えない卑屈な気持ちでチョットしたことでトラブルになってしまい、学校でドラマの話がかみ合わなくてもいいからテレビを見に行くのを止めるのです。
テレビを見に行かなくなった子供は、今までどおりラジオのドラマで演じる役者のセリフを聞いて映画を見るようなシーンを頭のなかで想像して、ノビノビとラジオを聞くことで想像力を高めていくのです。
里山の人は緊急の用事がないので電話は特に必要としないで、遠方への用事のある時は手紙で用が足りて、事態の急を要する時は電報を打つことで間に合うのです。
その後の里山に年数がたった頃、固定電話と放送設備を兼ねた有線放送電話が村役場から各家庭に設置してくれて、村内全地域に緊急一斉放送やお知らせの案内と個人が相手と話せる有線電話が開局したのです。
毎朝六時になると、一斉放送で流れてくるヒット歌謡曲やホップスを聞くのが、多感な時期の子供が楽しみにしている放送なのです。
特に印象が深く残る数々の曲のなかでも、シルビーバルタンの「アイドルを探せ」コニーフランシスの「泣かせないでね」曲が始まる前に雨と雷の効果音で始まるザ・カスケーズの「悲しき雨音」橋幸夫と吉永小百合のデュエット曲で「寒い朝」「いつでも夢を」なとが、毎朝聞いて子供心に強く残る懐かしい曲なのです。