二階堂桜子の美学
第三十三話 停電

 日舞の稽古を済ますと家庭教師つきで勉強をする。教わることは何もなく、実質的には監視員としての役割でしかない。夕飯を食べ入浴を済ますと何も考えることなくベッドに入る。夕飯から就寝まで、常に綾乃の部下が監視しており、学校以外は完全な監視体制が敷かれていた。
 しかし、感情を殺してしまった桜子にそんな視線は全く気にならず、日々綾乃の言われた通りに行動する。朝定刻に起床し朝食を取る。送り迎えは自宅の車で、学校では口を開かない。帰宅後は習い事と勉強。終わると夕食と入浴を済ませ就寝。軽井沢で綾乃から完全に仕込まれたこともあり、作業用ロボットのように桜子はこなす。
 そこに感情は一切なく、たんたんと言われたことのみをする。反論や意見をする気力なぞ当然なく、瑛太との関係を切った時点で自分の人生は終焉を迎えたものと思っていた。流れ作業のように勉強を続けていると、扉が開き綾乃が入ってくる。それと同時に家庭教師は退室し二人きりになる。
「勉強は順調かしら?」
「はい」
「日舞は?」
「完璧です」
「料理はできるわよね?」
「完璧です」
「宜しい。ではすぐ結婚できますね」
「はい」
「結婚相手は上杉龍英君。異論はないわね?」
「ありません」
「いつでも大丈夫よね?」
「はい」
 無表情で答える桜子を見て、綾乃は桜子の頬をビンタする。
「おめでたい話題のときは、嘘でも笑顔を作りなさい」
「はい、わかりました」
 綾乃に言われ頬を赤く腫らしながらも笑顔で答える。
「気持ちが変わらないうちに早い段階で婚約だけはしておくべきかしら。そして卒業と同時に式を挙げる。これがベストか。貴女はどう思う?」
「お姉様の仰るとおりに」
「そう、なら早目に話を進めるわ」
「はい、お願いします」
「真田瑛太さんのことはいいのかしら?」
「はい」
 即答する桜子を見て綾乃は切り出す。
「その程度なの?」
「どういう意味ですか?」
「貴女の瑛太さんへの想いはその程度なのかと聞いているのよ」
「はい、お姉様のお教え通りのままに」
 笑顔で答える桜子の顔をじっと見つめると、自分のポケットに手を入れしばらくごそごそしている。次の瞬間、突如室内が真っ暗になり、流石に桜子もビックリする。
(て、停電? 家で珍しいな)
 暗闇に包まれつつ考えていると突然全身を抱きしめられ、それが綾乃だと理解すると同時に真意が分らず混乱する。耳のすぐ横に顔があり、綾乃は小さな声でささやくように口を開く。
「非常用電源に切り変わるまで一分。桜子、貴女の瑛太さんへの本心を聞かせて。小声で早く」
 綾乃の言動がいつもと違うことに気が付き戸惑うが、こんな特異な状況だからこそ本心を言うべきだと瞬時に判断する。
「会いたい。今でも瑛太君が好きです」
「分かった。時間ないから一つだけ言っておくわ。絶対諦めちゃダメよ。世界中の誰に反対されようとも、例え、一人孤独な戦いになったとしても、いいわね?」
(真意が分からない。綾乃、私のこと応援してる? 別れさせた張本人が。意図が全く分からないけど、ここは素直に従うしか……)
「はい」
 返事を聞くと綾乃は離れ、しばらくすると室内の明かりが点灯する。戸惑いつつも綾乃を見ると、いつも通り見下したような目つきで桜子を見つめている。
「電気点いたようね。話を戻すけど、瑛太君を諦めるというなら話は早いわ。今月中にでも結納を交わし、正式に婚約の儀を執り行う。異論はないわね?」
(綾乃の言葉を信じてそのまま従うなら、ここで反発するべきなのだろうか? それとも、私に謀反の気持ちがあるのかないのか、最終的な判断をしている可能性も。ここはひとまず従うフリをして様子を見よう)
「異論はありません」
「分かったわ。先方にもそう伝える。良かったわね桜子。これで貴女の将来は安泰で幸せなものになるわ」
「はい、ありがとうございます」
 教え通り桜子は笑顔で答える。
「話はこれで終わり。お勉強を続けて」
「はい」
 机に向う桜子を確認すると、綾乃は何事も無かったかのように部屋を後にし、入れ替わり家庭教師が入ってくる。監視されていることを意識し勉強つつ、桜子は綾乃から言われことを頭で反芻する。
(私の本心を聞いて、綾乃は応援するようなアドバイスをしてくれた。けど停電から明けると再び上杉君との婚姻の話を進めた。つまり、盗聴されてないときに本心を聞かれ、綾乃も本心からアドバイスしたんだ。言い換えると、停電していないときに話した上杉君との婚姻は綾乃も望んでいない。逆に瑛太君との恋を応援してくれている。なんでだろう、そもそも盗聴は綾乃が監視するために行っているものとばかり思ってたのに、違うの? だとしたら一体誰が何のために? まだ真意を判断するには材料がなさすぎる。もっと慎重に事を構える必要がある、か)
 瑛太を殺そうとした綾乃が自分との恋を許す論理的な考えも浮かばす、桜子はただ漫然と問題集に向っていた。


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