次期社長と甘キュン!?お試し結婚
 こんなこと今までだっていくらでもあった。それなのに、

 お願い、比べないでよ!

 もう一人の自分が悲痛な叫び声をあげる。直人に言われても、ちっとも嬉しくなんかない。

 直人は、もうすぐ時間なのか、腕時計を確認すると私に背を向けて、自分の机のところで荷物を整理しはじめた。その背中に向かって、乾いた声で抑揚なく尋ねる。

「直人は……元々は朋子と結婚したかったんだ、よね?」

 直人の手が一瞬だけ止まったのが分かった。だからといってこっちに顔を向けるほどでもない。なんで、こんなことを聞くのか。答えは分かっているくせに。それを聞いてどうしたいのか。なんで、こんなことを

「そうだな」

 短く返されて、私は止まった。息も、心臓も動いているのかさえ不確かで、世界の色も、音も一瞬にして消える。瞬きもせずに直人の背中をじっと見つめるしかできない。直人がなにか言葉を続けたけれど、それも聞こえない。

 そして、こちらに振り向いた直人と目が合う。でも、その表情が分からない。はっきりしない。コンタクトをしているはずなのに視界が曖昧だ。どうして

 そう思ったときに、頬に冷たさを感じて、視界が滲んでいるのは泣いているからなのだと気づいた。無意識に右手で頬を擦ると、透明の液体で濡れたことに驚く。

 泣いているのだと自覚した途端に、色々な感情が溢れかえって、私は踵を返して駆け出そうとした。
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