次期社長と甘キュン!?お試し結婚
 そのとき、いきなり後ろに腕を引かれて、私は叫びそうになった。それを阻止するためにか、背後から抱きしめられるようにして口に手を当てられる。

「俺だ」

 聞き覚えのある声が耳元で囁かれ、ちらりと後ろを見ると、彼が少しだけ困った表情をしていた。心臓が一気に加速して痛くなる。驚いたことに対してか、この状況に対してかは分からない。

 背中から伝わってくる体温が急になくなった、と思うと、彼は今度は私の手を引いて、すぐそばの部屋に足を進めた。どうやら消火栓の影に隠れていたらしい。

「普通に声をかけてよ」

「それはそれで、驚かせて叫ばれそうだったから」

 ドアが閉まった途端に抗議の声をあげると、まったく悪びれない返事があった。鳴りやまない胸に手を置き、動揺を悟られないようにこっそりと息を吐く。

「あれ? 栗林さんは?」

 きょろきょろと辺りを見回したが栗林さんの姿は見当たらない。彼は軽くため息をついた。

「先に行ってもらってる。今日、仕事が終わったら付き合って欲しい」

「またお祖父さまのお見舞い?」

「いや、知人との食事だ」

 私は目を見開いた。だって私たちのことは内密にしようと言い出したのは彼の方なのに、一体誰と食事をするつもりなのか。彼は腕時計に視線をやった。
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