イジワル御曹司に愛されています
「誰だって最初は平社員だろ」


笑って声をかけた都筑くんに、「俺は入ったときから係長待遇だった」と言い返し、後ろ手で一度だけ手を振ると、そのまま出ていった。そんな仕草までよく似ている。

戦闘開始の、清々しいゴングの音が聞こえた気がした。


「そんなことやってるから、家族経営はダメになるんだよ」


都筑くんはぶちぶちとぼやき、鞄を席に置く。

吹っ切れたんだね、とその横顔を見て思った。くたくたに疲れて、あきらめたくなっていたところから、もう一度やってみる気になったんだね。

戦うことにしたんだ。


「なに食う? おごるよ」

「えっ、今の会社で、私相手に経費なんて使える?」


カウンターでメニューを見つつ、つい正直に驚いたら、心外そうな顔をされた。


「…俺、経費でしかごちそうしない奴と思われてんの?」

「あれっ、え? 違う、違うよ、そんなこと思ってないけど」


だって前に、これと逆のやりとりがあったから。

傷ついたような表情で黙ってしまった都筑くんに、私は慌てた。


「あの、じゃあケーキ食べていい? さっきからこれ、気になってて…」


そこに「おや、都筑くん?」と声がかかった。私に袖をつかまれたまま、都筑くんが振り返り、ぱっと笑顔になる。


「小木久先生!」

「来てたんだね、息災かな?」

「お陰さまで。先ほどのセミナー、拝聴しました。のちほど控え室に伺おうと思っていたんです」

「そうか、会えてよかった」


午前中の登壇を終えた先生は、にこにこしながら、私たちのあとに並ぶ。都筑くんは手振りで先生を先に並ばせ、「先生もお元気そうで」と嬉しそうにした。


「まあ、年寄りなりにね。仕事中かい?」

「ええ、僕、今はこういう会社で」


内ポケットから黒い革の名刺入れを出し、一枚を渡す。指でつまんだそれをじっと見て、先生がつぶやいた。
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